生きる

昨日に引き続き、黒澤映画のリメイクドラマである。
今回はなかなかよかったんじゃないかと思う。ドラマの骨格がしっかりしているから、アレンジを
加えてもそれほど劣化してない。


とはいえ、松本幸四郎は、しがない市役所の課長を演じるには貫禄があるというか色気があって、
多少違和感はあった。
これが田山涼成あたりだったら、かなりリアルだったかもしれない。視聴率を考えるとキャスティ
ングできなかっただろうけど。


それと、深田恭子ってこんなに可愛かったっけ、とびっくりした。
富豪刑事」のようなエキセントリックな役もよかったが、こういうフツーの女の子もできるんだ
なぁ、と認識を改めた。ラストにうぐいす嬢になっているのもよかったし。


映画では人を食ったようなナレーションで始まるが、ドラマの方も柳家花緑が味のある口調でナレ
ーションをしており、ニヤリとさせられた。もう少し喋らせてもよかったんじゃなかろうか。


このドラマを見ると、誰しも自分が余命いくばくもなかったらどうするだろうか、と考えるだろう。
この世のどこかに自分の生きていた痕跡を遺したい、と思うのが普通だろうか。
多くの人の場合、仕事を通じて何らかの work というか作品をつくれたら納得して死ねるのかもし
れない。


しかし、そんなふうに形のあるものを遺せる人はあまりいないのではないだろうか。
たとえ何かを作ったとしても、あっという間に古くなって捨てられてしまう世の中である。
天才が創った芸術作品ならともかく、永遠に人の記憶に残るような仕事をする人は稀だ。


その意味では、このドラマの課長は、市民のための公園を作ったことで、男の夢をかなえているの
かもしれない。まさに「生きる」ことを全うしたのだと思う。


ところで、自分が半年ぐらいの命だと分かってから、500万円を持って遊びに行く場面があった。
課長は何をしていいか分からないから、北村一輝が演じる遊び人に連れられて、酒や博打をやる。
当たり前だが、ちっとも楽しくない。私も同じ立場なら、たぶんそう感じるだろう。


なにも酒や女や博打がバカらしいからではない。
そういうもので心から楽しめる人がうらやましいのである。
無趣味な人間ほど惨めなものはないのではないか、と不安になるのだ。


もし、アニメとかアイドルなどに夢中になっている人が、「生きる」の主人公のようになったと
しよう。
その場合、オタクが最後に望むことは何なのだろうか? 
好きなアニメをぶっ続けで見るとか、アイドルのコンサートに行き倒すとか、そういうことで満足
して死ねるだろうか。何か違うような気がする。


ある種の欠落を埋められるのは、結局は愛情だけなのかもしれないなぁ、と思うのである。
そして、そういう愛情を受け取ることができない人間は、ただ不安に怯えながら死ぬのではないか、
と。


「生きる」で敢えて描かなかったのは、そういう不安を緩和する宗教ではなかろうか。
実に日本的というか、近代的な映画だったんだなぁ、と今さらのように気づいてしまった。
おしまい。


本文と写真はまったく関係ありません

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