なめくじ艦隊 びんぼう自慢

なめくじ艦隊―志ん生半生記 (ちくま文庫)

なめくじ艦隊―志ん生半生記 (ちくま文庫)

びんぼう自慢 (ちくま文庫)

びんぼう自慢 (ちくま文庫)

古今亭志ん生の自伝を続けて読んでみた。
もはや古典に入るものだろうから、いちいち内容は書かないけれど、なるほど凄まじい貧乏で
ある。
しかし、その原因のほとんどは志ん生自身にあって、この人はどういう金銭感覚をしているん
だろうか、と読んでいて不思議に思った。


この二冊の内容はほぼ同じであるが、ディティールが微妙に違っている。
最初に出た「なめくじ艦隊」の方は、志ん生が66歳のときに出版されており、脳出血で倒れる
前のことである。
まだ元気だった頃なので、ぽんぽん弾むような語り口だ。


一方、「びんぼう自慢」は倒れた後の74歳のときに出版されている。
その後、立風書房から出た改定版が79歳のときに出た。文庫になっているのもこの版である。
そのせいか、どうも話の内容がくどいような気がする。
聞き手の方も、これが最後になるかもしれぬ、と思っているからだろうか、しんみりと話を聞
いている感じがした。


古今亭志ん生は間違いなく落語の巨匠である。
だが、巨匠というのは、身近にいる人にとっては迷惑この上ない人物だ。
たとえば「のだめカンタービレ」のシュトレーゼマンのような人、といえば分かりやすいだろ
うか。


つまり、人を芯から感動させる仕事をするけれども、酒や女や博打が大好きで、社会的な常識
がほぼ通用しない、破綻した人が多いのである。


こうした人間は、社会にある程度の緩さがないと潰されてしまう。
「まあ、あの人は芸人だから大目にみてやろうじゃないか」
と周囲が支えてあげないと大成しないのだ。


だいたい、この手の人は豪放磊落に見えてもガラスのハートだったりすることが多いので、絶
えず褒めてあげる誰かが必要だったりする。
つまり、人格よりも芸を見抜く目利きがと出会わなければ、巨匠に成長できないのですな。


そう考えると、志ん生は社会全体に巨匠を育てる余裕があった、まことにいい時代に生まれた
ものだと思う。
もし現在だったら、賭博や買春のスキャンダルで大バッシングを受けていただろう。


芸はきれいごとだけでは育たない、ということを世の中が知らないふりをして、逆に青少年の
お手本になるべし、などとバカなことを押し付けるおかげで、粒の小さい芸人しか出てこない。
また、目利きが少なくなったので、一発芸がもてはやされ、すぐに消えてしまう。


落語に限らず、私たちの社会では芸の成熟を待てなくなったために、巨匠がいなくなってしま
った。
これも成熟を拒否する米国文化の悪影響かと思うと、ちょっと哀しい。


本文と写真はまったく関係ありません

从*^ー^)<師匠、もうすぐ出番です
从*・`。´・)<おう、わかったなの