火の鳥 復活編

火の鳥 復活・羽衣編

火の鳥 復活・羽衣編

私がハリウッドのプロデューサーだったら、このマンガを映画化するね。
少なくとも「アイ, ロボット」よりは面白くできるんじゃないかと思う。


復活編では、人間とロボットの違いは何か、あるいは心というものは何かを思考実験している。
一人の青年が事故で死ぬのだが、身体の半分以上を人工臓器にしてよみがえる。脳も半分を人工
ニューロンにしているため、最初は人間が気味の悪い無機物にしか見えない。
ここのところの描写がすごく面白くて、認識論的である。


一年ぐらいすると外界の認識にも齟齬を来たさないようになるが、相変わらず人間はあまり人間
らしく見えない。逆に、昆虫のような顔をしたロボット(チヒロ)が、美少女に見えてしまう。
そして2人は愛し合うようになる。ロボットにも心が生じたのだ。


世の中にはメカフェチという、機械の姿かたちを審美する能力がある人がいるけれど、この作品
ではまさにそういう人のことを描いているのかもしれない。
例えば、あるバイクはあるバイクと比べてカワイイかどうか、私には分からないが、藤島康介
ら一晩中でも熱く語れるだろう。そういうことだ。


で、青年とチヒロは駆け落ちをするが、力尽き遭難する。
そこを臓器密輸団に拾われ、青年の身体は密輸団の女ボスに移植されてしまう。
その前に、青年の記憶は電子装置に記録され、チヒロと融合される。こうして青年とチヒロの心
はひとつに結ばれたわけだ。
(てことは、手塚治虫心身二元論者であるということか?)


その後、青年とチヒロの心が融合されたロボットは、ロビタと呼ばれる子守ロボットとして大量
生産されることになる。そのころには、すでに人間であったときの記憶はほとんど薄れているの
だが、他のロボットに比べて人間臭いところが人気の秘密なのだ。


ところが、ある事故でロビタは子供を見殺しにしてしまう。
やりきれない親はロビタを裁判にかけ、ついに溶解処分という判決が出る。
ロビタは言う。
「ワタシタチハ ムカシ タッタヒトリノ ロビタカラ ワカレテフエタ 兄弟デス
ワタシタチハ 全部ガヒトリデ ヒトリハスベテデス
モシ ワタシタチノ ヒトリガ 死刑ニナレバ
ロビタハ ヒトリノコラズ 死ヌデショウ」


そして溶解処分されたロビタの後を追って、すべてのロビタが整然と自殺していく。
この場面は、まったく同じ原稿で、二回繰り返されている。
復活編が発表されたのは1970〜71年なので、当時の労働運動が背景にあるのだろうが、見開きで
いっぱいに表現されたロビタの死の行進は、いま見ても迫力がある。


手塚治虫は、「鉄腕アトム」の中でスカンクという悪役に、人間は悪いことができるがロボット
にはできない、と言わせていた。


だが「火の鳥 復活編」では、ロビタは殺人を犯している。
月面で生活している男がセクサロイドと外出するとき、ロビタはエネルギーを半分しか入れなか
った。このため、男はセクサロイドに抱きつかれたまま、身動きがとれずに酸欠で死ぬ。
そして、地球に連絡して、自分を人間として裁いてほしいと言うのである。


私は、人が殺せるから人間だとは思えなかった。
その後で、人間として裁いてほしい、という訴えこそが、人間らしい心なのではないか、と思う。
それは自尊心があるかどうか、ということではなかろうか。
プライドのために命を棄てることのできる生き物は人間だけだし。


この作品では、時系列がバラバラにされており、そこがまた面白い。
火の鳥」シリーズでは、「鳳凰編」や「未来編」と同じぐらいクオリティが高いと思うので、
ぜひ一読していただきたい。


本文と写真はまったく関係ありません

川´・_・`川<メーテル、ほんとうに機械の体は手に入るの? 
川*^∇^)||<ええ、きっとよ鉄郎‥‥