- 作者: 手塚治虫
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2005/07
- メディア: コミック
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手塚治虫本人は、オペラ「ホフマン物語」をモチーフにしている、と語っている。
私は「ホフマン物語」を知らなかったので調べてみたものの、なんだかよく分からない話だった。
主人公の流行作家は、どうも三島由紀夫をモデルにしているような気がするが、三島が自決したのが
1970年で、この作品が描かれたのは1973年なので、手塚治虫は全く意識していなかったのかもしれない。
芸術の女神ばるぼらはフーテン娘として現れる。
フーテン娘というのは、今だと渋谷あたりをうろついている家出した女子高生みたいなものだろうか。
芸術志向のホームレス、というと語弊があるかもしれない。
ばるぼらは作家や画家などのアーティストのところにふらりと現れ、酒を飲んだりゴロゴロして過ごす。
そうすると、なぜか芸術的インスピレーションが湧いてきて、傑作をものにできる。
しかし、ばるぼらは気まぐれなので、いつ出て行くか分からない。
アーティストは、ばるぼらを失ってダメになっていく。
手塚治虫も、自分の創造的な才能の好不調があったのだろうか、と思わせる内容で、ちょうど同じ時期に
「ブラック・ジャック」の連載を始めている。
実はこのころ劇画ブームで、手塚治虫は過去の人になりつつあり、後に代表作になる「ブラック・ジャッ
ク」も、新連載なのに表紙には描かれず、人気がなければ数回で打ち切られる予定だったという。
そういうスランプのときに描いたものだと思えば、ばるぼらに対してかなり乱暴なことをしてみたり、
一転して結婚しようとしたりと、手塚自身が何を描けばいいのか迷っているように見える。
物語の中盤から後半では、呪術や魔女などオカルトの話になってしまい、せっかくの設定が分裂して
いるのが残念だ。
最終的には、芸術は作品が残れど作った人は消えてしまう、という、いささかニヒルな結論を提示して
おり、当時の手塚の落ち込んだ気分がしのばれる。
また、これは私だけの解釈だが、女性の恐ろしさが描かれている作品だと思う。
最初に登場したばるぼらは、臭くて汚い格好をした酒飲みの女で、性的魅力はない。
暑いと平気で胸を丸出しにするような、恥じらいのない女というキャラである。
実は「ブラック・ジャック」でも、ピノコという女の子が登場するが、彼女もまた本来は18歳と主張
するにも関わらず、子供の姿をした性的魅力がないキャラクターである。
また、「どろろ」でも、百鬼丸と行動をともにするどろろは、実は女の子だったことが最後になって
明かされるように、手塚マンガでは男女のペアで行動する場合、一方のキャラは性的な魅力を封印
されてしまうことが多い。
ところが、「ばるぼら」では中盤になって、急にばるぼらが女になるのである。
コートを着た薄汚いキャラが、一転して性的魅力全開のエロい姿に変身し、主人公を誘惑する。
この変容が女の魅力でもあり、怖いところでもある。
少なくとも、私は女のそのような生々しさが恐ろしい。
手塚治虫はどうだったのだろうか?
なぜかこの作品中に、筒井康隆とおぼしき筒井隆康という作家が出てくる。
いまの風貌と全く違うが、若いときはシュッとしてさぞモテたのだろうな、と思う。
手塚治虫と筒井康隆のコラボレーションといえば、筒井康隆の小説「イリヤ・ムウロメツ」で挿絵を
描いたのを憶えているが、それっきりだったような気がする。
「ばるぼら」は失敗作に近いマンガなので、別に読む必要はないけれど、妙な読後感が残る作品だ。
何の根拠もないが、ドクターペッパーが好きな人は気に入るかも。