「さよなら絶望先生」で講談社漫画賞を受賞した久米田康治が、授賞式の二次会の
パーティーでなんと生前葬をやったそうで。
それを椎名高志のブログで知ったのだが、めでたいのかめでたくないのか‥‥
私は弘兼憲史が同じく講談社漫画賞を受賞したとき、二次会のパーティーの隅っこにちょこっと
出席させてもらったことがあるが、渋谷のイタリアンレストランを貸切にしていたのを憶えてい
る。
普段は一日中マンガを描いているから、こうやって使うときはパーッと使うのかもしれない。
マンガ賞の存在は、最近までマイナーなものだったと思う。
講談社や小学館のマンガ賞は、基本的に自社系列の雑誌で連載している作家に出すものだったし、
賞の性格として、その年に最もブレイクした作品に与えられるものだった。
いわば、業界内の功労賞のようなものだろう。
ところが、マンガがサブカルチャーとして注目されるようになったら、朝日新聞が手塚治虫文化
賞を作って表彰し始めた。
Wikipedia を見ると、97年の第1回から07年の第11回までに、選考委員が激減しているが、何か
あったのだろうか。
私はいしかわじゅんの選考基準に疑問があるので、あまりこの賞に対しての敬意はない。
世間的にも、直木賞とか芥川賞のようなインパクトや権威はないと思う。
むしろ、何らかの権威ができてしまった時点で、そのジャンルは衰退してしまうのではないか、
とさえ思っている。
というのも、日本のマンガは読者の人気がなければ成立しない。
ポップミュージックやテレビドラマと同じく、好きか嫌いかは読者が決めているのだ。
一番売れた作品は数字ですぐに分かる。
それが優れた作品かどうかは別として、売り上げはこの業界での唯一の基準なのだと思う。
ここに敢えて質の優劣を持ち込んでも混乱するだけなのかもしれない。
つまらないものは売れない、でよかったのである。
しかし、現在のように人々の趣向が多様化すれば、個々の売れ行きは落ちる。
突出して売れるものが出るが、あとはそこそこ、という状況だと、いったい何を読めばいい
のか分からない人も出てくるだろう。
そういう人が信じるのが口コミであり、「**を読め」的なブックガイドだったりする。
文学でも同様なことが起こっており、本屋大賞は既存の文学賞と読者の隙間を狙った売り方な
んだろうな、と。
てことは、いずれマンガの本屋大賞とかJ-POPのCD屋大賞なんかができるかもしれない。
すでにテレビドラマではネット上でそのような展開があるらしいし、偉い人が決めない賞、と
いうかたちが流行るのかもね。
本文と写真はまったく関係ありません
( ^▽^)<えー、このたび『ハロプロ全力大賞』をいただくことになりました石川でございます