ジョー、満月の島へ行く

たぶんトム・ハンクスメグ・ライアンの中では黒歴史になっている映画だと思う。
コメディとしてはスベっているし、恋愛ものとしては唐突すぎるし、パロディにしては
キレが悪い。


恐らく1940年代に作られた、ボブ・ホープの珍道中シリーズがベースになっているのではなか
ろうか。
架空の島で暮らす人々が、なぜかオレンジソーダに夢中になっていたりする設定は、その当時
の映画へのオマージュのつもりだろう。


もし、トム・ハンクスメグ・ライアンのペアの映画を見たかったら、これではなく「めぐり
逢えたら」か「ユーガットメイル」を薦める。


ところで、この映画では余命半年と言われたトム・ハンクスが、大富豪にある頼みごとをされ
る。南太平洋の島にある火山に飛び込んで、生贄になってほしい、というのである。
ヤケになっていたトム・ハンクスはその申し出を受ける代わりに、大富豪のゴールドカードで
好きなものを買うことができる。


そこでトム・ハンクスは運転手付きのリムジンを借りて買い物に出かけるのだが、普通のサラ
リーマンだったので、何を買えばいいのか分からない。
仕方なくリムジンの運転手にどこへ行って何を買えばいいかを訊くしまつだ。


ただ、米国は金を持っている人間に対しては、最大限の敬意を表する社会である。
貧乏だった主人公がひょんなことから大金を得て、みるみる垢抜けていく様を見せるのは、
この作品だけでなく、ハリウッド映画のお決まりのパターンだ。


こういう分かりやすい商道徳って、もしかしたら米国で生まれたものなのだろうか。
もし、一見さんお断り、という老舗だったら、いくらお金を持っていても店に入れてくれない
だろう。ブランドを守るために、客を選別するというやり方もあったはずだ。


例えば欧州では、普通の若い女性がブランドもののバッグを持っていないと思う。
むしろ、私が見た限りでは、おばさんの方ががんばってオシャレをしていた。
欧州の若い女性はブランドもののバッグを買えないわけではないが、それを許さないコード
が社会にあるような気がする。


一方、日本では、下手をすれば女子高生でもブランドものを身につけている。
お金さえ出せば、小学生にだって売るだろう。


そうすると、分をわきまえる、なんて考え方は、古臭くてダサい無意味なものになる。
昔、成金が嫌われたのは、お金の使い方が洗練されてなかったからだが、いまは誰がどんな風
にお金を使おうが、ケチをつけたりはしない。負け組の僻みでしかないからだ。


もし私が億万長者になったとしても、何に金を使っていいか分からない。
このダサい格好をなんとかしようとして、トム・ハンクスのようにアルマーニの店に飛び込ん
だとしても、店員に失笑されるのがオチだろうな。


本文と写真はまったく関係ありません

ノリo´ゥ`リ<小春は地デジ対応のテレビが欲しい‥‥