東京タワー月9版

「東京タワー」を月9でやる意味が分からない。
秋にやった大泉洋の「東京タワー」は何だったんだ、ということにもなるし、映画にもなる
らしいけど、3回も映像化するような原作か? 


で、速水もこみち版を見たら、それほど悪くはなかった。
ただ、倍賞美津子が老けすぎてやしないか。特に主人公が小学生のときはそう思った。
泉谷しげるも、同様に老けて見える。


ドラマでは、主人公が高校生になり、母親の干渉が鬱陶しくなる時期からスタートしていた。
これを見て、私は「ダウンタウンのごっつええ感じ」の名コント“おかんとマーくん”を思い出
した。

思春期における親の鬱陶しさは誰でも経験すると思うが、極端にデフォルメしてある。
どちらの母親も息子を溺愛するが、ドラマでは愛情に重点を置き、コントでは干渉に重点を置いて
いる。
泣くか笑うかは、コインの裏表の関係だろう。


これほど子供を甘やかすと、普通はどうしようもない子になってしまうと思うが、リリー・フラン
キーも松本人志も、それぞれに成功している。
数少ない例外かもしれないが、親の愛情は、ないよりはあった方がいいのだろう。


こうした聖母像がヒットするのはどうしてだろうか? 
どんなことをしても自分を赦してくれる母性というものが、社会からなくなりつつあるせいかも
しれない。


いまは、ちょっとでも過失があると匿名の大衆に袋叩きにされる世の中である。
ビジネスの世界でも、結果を出さないと生き残れず、一度転落してしまうと二度と復活できない
仕組みになっている。
そういうストレスフルな時代に、罵倒しても情けない姿をさらしても甘えさせてくれる存在は、
究極の癒しになるだろう。


もしかすると、子供のころから結果を求められて、ドラマのような無償の愛を感じずに大人に
なった人たちが、ちょうど子供のころに買ってもらえなかった超合金を買うような感覚で、ドラマ
や小説にハマッているのかもしれない。


しかし、このドラマのオカンが、母親のロールモデルになってしまうのは危険だと思う。
自分は子供に対してこんなにも愛情を注げない、と思う若いお母さんがいるかもしれないが、それは
フィクションであって、現実に全てを子供に捧げる必要はないし、それを求めるのもどうかしている
と思う。


実際、男が求める母性はやっかいなものだから、ドラマや小説で昇華してくれれば安全な方で、宗教
とか権力と結びつくと始末に終えないような気がする。
女は女で、ずっと昔から、あたしはあんたの母親じゃないっつーの、と苦々しく思っていたんだろう
けど。


そういえば日本には、バーやスナックのホステスを「ママ」と呼ぶ奇習があった。
大の大人が、自分の母親でもない女に「ママ」と甘えるのを、何の不思議にも思わない人が多いこと
自体が異常なことだろう。
この15年、そういう店には行っていないのだが、いまも「ママ」はいるのだろうか? 


本文と写真はまったく関係ありません

リ ・ー・リ<ママ!
川*^∇^)||<はっはっはっ、千聖は甘えん坊だなぁ
(o・酈・)<どーもこーもないっスよ、熊井パパ
从o゚ー゚从<‥‥‥‥