霊長類南へ

霊長類 南へ (角川文庫)

霊長類 南へ (角川文庫)

高校生のとき、筒井康隆全集を次々に読んでいた時期があって、この作品もゲラゲラ笑いながら
楽しんだ記憶がある。
改めて読んでみると、人間の暴力や狂気がかなり凄まじく描かれており驚いた。


1969年に出版された小説なので、冷戦の真っ只中である。
実に馬鹿馬鹿しい理由で中国の核ミサイルが誤射され、核兵器による報復の連鎖で人類が滅びゆく
阿鼻叫喚を描いている。


人類絶滅をテーマにした小説は、作家なら誰でも一度は書いてみたいと思うのだろうか、実に多い。
しかし、本格的なリアリティを持たせようとすれば、軍事・政治・経済・科学などの膨大な知識が
必要になるだろう。
SF作家でいうと、小松左京みたいな人が得意なジャンルだと思う。


だが、そうでなくても作家が得意な分野で人類の絶滅を描くことも可能だ。
例えば星新一ショートショートでは、親が子供に性的なものを見せるのを禁止しすぎてしまった
ため、まったく性欲のない「いい子たち」しかいなくなった話を書いている。
今でも憶えているということは、よほど私にとって印象的だったに違いない。


筒井康隆の場合は、軍事的なことや政治的なことをちゃんと調べて書いているけれども、最も筆が
乗るのは人間がスクラップのように破壊される場面である。
その描写はドライで喜劇的でさえあり、ジャズのようなグルーヴがある。


この小説で私が妙に引っかかったのは、亀井戸というキャラクターだった。
フロイト精神分析の症例から造形したような人物で、意外としぶとく主人公たちと生き延びるが、
10代のDQNに花瓶で頭を割られて死ぬ。
まるで作者にネチネチといびられているように思えたのだが、実在のモデルがいるのかもしれない。


また、主人公の許婚もフロイト的だった。
物語の終盤で登場したときは、読んでいてゾッとしたほど怖かった。


最後には銀座の交差点でゴキブリが息絶えるところで終わるが、主人公たちの死に様を描かなかっ
たのは、主人公が作者の投影であるからだろう。
逆に言えば、作者は人類のほとんどを侮蔑し、憎んでいたともいえる。
その巨大な怒りが、この小説を書かせたのかもしれない。


さて、冷戦当時は、全面核戦争が起きるかもしれないという恐怖が、社会である程度共有されてい
たらしい。
60年代から70年代に作られたストーリーには、核戦争で人類はおしまいになる、という話が繰り返
しあった。


ところが、ソ連が崩壊してからは、あまりそういう恐怖を抱かなくなったような気がする。
むしろ、細菌やウィルスといったバイオ兵器や、テロリズムの恐怖の方がリアリティを持ちはじめ
てきたのではなかろうか。
あるいは、環境問題がグローバルなイシューとなったので、核よりも地球環境の激変によって人類
が滅びるのではないか、という恐怖の方が、ポピュラーになったのかもしれない。


ただ、冷戦構造がなくなっても、世界には依然として人類を何回も絶滅させられる量の核兵器があ
って、みんな普段はそれを忘れて生活しているだけ、という話でもあるのだが。


もし、この小説をマンガにするなら、「バクネヤング」というマンガを描いた松永豊和がピッタリ
ではないかと思うよ。


本文と写真はまったく関係ありません

从*・ 。.・)<うさちゃんピースで平和を祈ってるの