12月4日付け朝日新聞別紙「Be」からの孫引きだが、面白いデータがあった。
明治時代の人口推移である。
年代 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 |
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明治17年 | 大阪(163) | 新潟(158) | 愛媛(151) | 兵庫(144) | 愛知(136) |
明治21年 | 新潟(166) | 兵庫(155) | 愛知(144) | 東京(135) | 広島(129) |
明治26年 | 新潟(171) | 東京(161) | 兵庫(156) | 愛知(149) | 広島(134) |
明治31年 | 東京(188) | 新潟(171) | 兵庫(166) | 愛知(155) | 大阪(149) |
明治36年 | 東京(225) | 兵庫(176) | 新潟(173) | 大阪(168) | 愛知(166) |
明治41年 | 東京(268) | 大阪(195) | 兵庫(189) | 愛知(179) | 新潟(177) |
( )の数字は万人 <明治政府「乙種現住人口」による>
なんと、新潟県が人口トップだった時期がある。
記事によると、米どころなのでそれだけの人口を支えられたのだそうだ。
近代化が進むにつれて、人口は東京などの大都市に集中していくが、新潟県の人口は
170万人台でずっと推移している。
いまの新潟県の人口が約250万人ぐらいだから、堅調に増えたということか。
(明治時代と現代の総人口と比較したら、率としては減っているかもしれない)
愛媛県も、明治17年(1884年)には151万人の人口をかかえ、堂々の3位だ。
(ちなみに、いまの愛媛県の人口もほぼ同じぐらいである)
東京より多かったときがあったなんて信じられない。
温暖な気候で農業も盛んだったのだろう。
しかし、急速にランク外へ落ちていく。
人々は、都会へ都会へと流れていったのだね。
‥‥つまんない結論で何のオチもない。すいません。