フェレロ ヌテラ

フェレロ ヌテラ

 

 ヤマザキマリのマンガかエッセイに、イタリア人のヌテラ好きは異常(※意訳)と

あったので一度パンに塗ってみたかった。

ドラッグストアで賞味期限が近いものが半額で売っていたので買った。

さっそくパンにつけて食べると、なるほどチョコレート味がしてうまい。

欧米の食品によくある、驚くほど甘いということもなかった。

 

ただ、冷蔵庫に入れると固まって油脂が分離してしまうので、常温で保存

しなければならない。なるべく早く食べてしまわなければ。

 

個人的には、もっと空気を入れて練り込んで柔らかくした方がいいのでは、

と思う。パンにも塗りやすいし。

*[本]そして生活はつづく

そして生活はつづく (文春文庫)

そして生活はつづく (文春文庫)

ものすごくチビチビ読んでいたので、全体的な感想が思い浮かばない。
なぜチビチビ読んでいたかというと、この文庫本をクルマのダッシュ
ボードに入れていて、外食するときに注文を待つ間だけ読んでいた
からだ。


面白いエッセイだった。
「ひとりはつづく」というタイトルの2で、あるドラマのオーディションに
なぜか合格し、多くの人と合宿して訓練する話があった。
星野源は運動神経が悪いらしいので、みんなの足を引っ張ってしまい、
とうとう全員に糾弾されることになった、という内容だ。


おそらく2003年にフジテレビで放送された「WATER BOYS」のことだと
思うのだが、ここで星野源を追い込んだ共演者というのは誰なんだろう、
と思った。
果たして彼に「芸能界でやっていけない」と言った人は、今どうして
いるのだろう。



このエッセイは2009年に連載されていたものだ。
星野源が大ブレイクをしたのは2016年のドラマ「逃げるは恥だが役に立つ
のときだと思うのだが、それ以前にはどのくらいの知名度があったのだろう。


私はNHKの「LIFE!」というコント番組で顔と名前を憶えた。
それが2013年ごろで、紅白に初出場したのが2015年だ。
なので、そのあたりからじわじわと人気がでてきたと考えるのが妥当か。


とすると、2009年はまだそれほど知られていない人、ということになるが、
それでもエッセイの依頼がくるのだから、知る人ぞ知る存在だったのかも
しれない。



現在の活躍ぶりはマルチタレントと呼ぶにふさわしい。
青島幸男の若い時というのは、こういう感じだったのかもしれない。
そういえば「おげんさんといっしょ」という番組ではおばさんの
格好をしていたし、あれはオマージュだったのかも。

ファッションショーの見方が分からない。

まったく興味がないので、ただモデルが変な服を着て歩いている

だけ、という印象しかないのだ。

 

これが深夜アニメなら、この作品は攻めているな、とか、これは

原作をないがしろにしているな、とか、いろいろ分かる。

制作会社とか監督や脚本家の名前もいくつか知っているので、

作風とか得意分野なんかも把握できる。

 

ということは、ファッションショーも同様に、デザイナーが

どういうものを表現したいのかを調べれば分かるようになる

のだろうか。

とっかかりがないので、どれも同じように見えるのだが。

(これはミリヲタでない人が、戦車や飛行機の種類の区別が

つかないのと一緒か)

 

 

深夜アニメは10年に1本ぐらい大ヒットして社会現象になる

作品がある。

ファッションはどうなのだろう? 若い子がみんな同じような

服を着る、という現象を2000年代になってからあまり見ない

ような気がするのだが、ちゃんと大流行は訪れているのか。

 

それとも、流行というよりは、ユニクロで売っている服を

みんなが着るようになったように見えるが、もはやファッションに

そこまでお金をかけなくなったのか。

 

ダサく見えてもかまわない、という人が増えれば、ファッション

産業も衰退してしまいそうなものだが、まだ若者のファッション

離れと言われてはいないようだから、みんながんばっているの

だろう。

BS11で放送していた「広告会社、男子寮のおかずくん」という

ドラマを見終わった。なんと映画化されるという。

特に期待もせずに見始めて、そこそこ面白かったけど絶賛する

ほどでもなかった。

 

見終わって検索すると、主演の人は「刀剣乱舞」の舞台をされて

いたという。ということはターゲットは女性だったのか。

たしかに、広告代理店の社員だというのに、浮いた噂はひとり

ぐらいしかなく、うっすらとBLっぽい雰囲気があった。

 

原作のマンガは読んだことはないのだが、たぶん広告代理店に

勤めた経験があるのだろう。

営業に使い回されるマーケティングの話は、妙にリアルだった。

 

しかし、グルメドラマとしてはいかがなものか、という気もする。

毎週金曜日に集まって自炊する、という設定なのだが、すごく

おいしそう、という感じではなかった。

どうせなら、酒のつまみ的なものばかりで攻めたほうがよかった

のではなかろうか。

 

*[本]色の道商売往来

色の道商売往来―平身傾聴・裏街道戦後史 (ちくま文庫)

色の道商売往来―平身傾聴・裏街道戦後史 (ちくま文庫)

三浦しをんのエッセイで紹介されていたので、ちょっと読んでみたくなって
街のジュンク堂に行ったのだがなかった。
ネットの古本で90円プラス送料だったので迷わずポチった。


この本は昭和40年代に、前半はその当時の性風俗について、後半は戦前から
終戦あたりの売春稼業について、当事者と対談したものをまとめたものである。
対談は小沢昭一が受け持ち、同伴した永六輔が原稿にまとめて補足している。


なので、平成の終わりにこれを読むと、50年前の性風俗も古びてよく分からなく
なっているし、戦前や終戦直後の混乱期の話になると、もう別の世界の話である。


ただ、昔の人も現代の人も、同じぐらいの比率で売買春しているのだろうな、
とは思う。今は携帯デバイスがあるので、より個人的にカジュアル化している
から、あまり後ろめたさがないのが違うぐらいか。



それにしても、終戦直後の街娼の話は、ほんまかいな、と疑ってしまうぐらい
すごかった。ほとんどマッドマックスの世界である。
女性の人権というのは、ごく最近になってようやく守るべきものとして意識
されたのだなぁ、と。


その街娼も、前の東京オリンピックあたりに取り締まりが厳しくなって
あまり目立たなくなったそうだが、東電OL殺人事件の被害者も街娼を
していたのだから、少なくとも1997年ごろまでは存在していたのだろう。


しかし、いまなら街角で客引きをしなくてもスマホからできるのだから、
若い女性はもう街角に立つことはないと思う。
それでも、2020年の東京オリンピックまでには、また取り締まりが厳しく
なって、性風俗も変化していくのではないか。



もしかしたらコンビニのエロ本のように、表立ってはないものにされて
社会が漂白されるような気もする。
と同時に、素人と売春婦の区別があいまいになって、不特定多数の人と
セックスするのは別に普通のことになっていくかもしれない。


現実の女性が信じられなくなった弱い男性たちは、アイドルや二次元に
貞操を求めるようになり、裏切られ傷つくのだ。いや二次元キャラには
傷つけられないけれども。



2000年代の性風俗をまとめた対談本を誰か作らないものだろうか。
テレビでは「トゥナイト」で山本監督がそれをやっていたが、今は
誰もやってない気がする。

ニュージーランドで起きた痛ましい銃撃事件の犯人は豪州の

白人至上主義者らしい。

米国や豪州のように、先住民を虐殺してできた国は、そのような

レイシストが生まれやすいのかもしれない。

 

しかし、なぜ白人至上主義はあっても、黒人至上主義や黄色人

至上主義というのはないのだろうか。

(いや、黒人至上主義的なものは米国にあるのだが、それは白人

至上主義がなければ成立しなかっただろう。アフリカにその

ようなものがあるのかは知らない)

 

白人至上主義者は、近代文明を作ったのは白人だから偉い、

と考えているのだろう。

それは、誰かが偉業を達成しても、その人と同じ国のみんなが

偉いわけではないのと同じぐらい間違っている。

 

だが、白人といっても一枚岩ではない。

アイルランド系やポーランド系をバカにすることはよくあるし、

ユダヤ系は差別されている。

なので、正確には“アングロサクソンキリスト教徒至上主義”

とでも言うべきではなかろうか。

 

 

黄色人種至上主義というのがないのは、モンゴロイドが身体的な

劣等感を抱かされているからだろう。

背が低く手足が短いのは醜い、という刷り込みをされているので、

堂々と黄色人種ってすばらしい、と言えないのではなかろうか。

 

もうひとつは、米国や豪州のように歴史が浅い国とは違って、

それぞれの民族ごとに至上主義があるからだと思う。

中国には中華思想が、日本には国粋主義があって、人種的な

連帯というのは考えにくい。これは上述のとおり実は白人も

そうなのだろうけど。

 

 

しかし考えてみれば、白人が生み出したとされる近代こそが、

そのような人種的・宗教的な差別を否定していくものでは

なかろうか。

彼らは自分たちこそが近代文明をつくったと言いながら、

その近代文明を後退させる行いをしているのである。

 

メディアは、ぼんやりした白人至上主義者という言葉を使う

のは控えて、狂信的キリスト教徒と言うべきだと思う。