ツイッターの自分のタイムライン上で絶賛されていたので
見に行った。
観客は私を含めて4人。私以外は女性だった。
人に懐かない黒猫がいつの間にか師匠を見つけて懐くように
なる話、というまとめ方はちょっと雑すぎるか。
娯楽作品として普通に面白かったし、アクションも良かった。
おいしそうなものを見たとき目が星のようになったり、
ジト目と言われるような日本のアニメやマンガの記号が
当たり前のように使われていたことにちょっと驚いた。
日本の記号表現がわりとスタンダードになっている。
吹き替えの声優もエース級の人を集めており、すごく
満足できた。
↓
ここからは私の妄言である。
中国のアニメだからといってイデオロギーをからめた見方を
するのは違うとは思うのだが、そういう方向で分析すると
すっきりしたような気がする。
この作品は一見、自然(妖精)と人間の対立になっているの
だけれど、もう少しややこしい。
実は自然界に居続けたい妖精と、管理された世界で暮らす妖精の
対立なのである。
しかも管理された世界に連れていくのは、超人的な能力を持って
いるものの、人間という設定だ。
私が引っかかったのは、管理された世界である「館」の中は
まったく描かれていなかったところだ。
外見は清朝以前の建物みたいで、主人公の小黒もそこで暮らす
はずだったのだが、門に入る前に引き返してしまう。
(そこはそこで感動的なシーンだったのだが)
私の見立てでは、最初に小黒に接触する風息たちは香港の人
である。そして「館」は中国本土だ。
執行人の無限は共産党幹部といったところか。
では小黒が持っている「領界」は何かというと、民主主義である。
普通選挙だったり言論の自由と考えてもいい。
風息はそれを奪い取って街を変革しようとするのだが、無限と
小黒によって阻まれ、自らを樹木にして消える。
私には香港の運命を暗示しているような気がした。
中国にとって欧米的な民主主義は、まだ小黒のように成熟して
おらずコントロールが難しいのだ、と言いたかったのでは
なかろうか。
あるいは、そういうものに頼らなくても、社会を発展させて
いけるのだ、と宣言しているのかもしれない。
もしそうであれば、「館」の中を楽園のように描いても
よかったはずだが、それはしていない。
結局、自然破壊は良くないけれども、妖精たちは人間と共存
するために管理されなければならない、というメッセージだった
のではないか。
そこがなんだかモヤるところではあった。