*[本]教団X

教団X

教団X

大江健三郎の小説になりそこねた作品、という印象だった。
宗教や人間の運命について描いており、2012年ごろの政治状況も
警告している。
その後、2016年に「R帝国」という小説を読売新聞で連載しており、
これも読んだ。


どちらも、当時の政治状況のヤバさをストレートに訴えている。
私も安倍政権は危険だと思うのだが、小説で描くにはまだ生々しい
ような気がする。
が、のちの時代から見ると時事性が記録されていてよかったと
思うのかもしれない。



「教団X」を読むと、性についての根源的な欲望がベースになっている。
終盤では快楽殺人者のような人が出ているし、主人公の楢崎という青年も
女性信者とのセックスに骨抜きにされている。


ここまであからさまにセックスを礼賛しているのは、男性作家だからでは
ないか、と疑問を持った。
というのも、この小説ではセックスの快感がほぼ射精と同義であるからだ。


一般的に男性は射精すると、ほぼ同じ快感が平等に与えられる。
射精原理主義とでも名付けられようか。


だが、女性は違う。
射精という現象がないので、セックスで確定的な快感は平等には
与えられない。


仮に男性の射精の快感が10だとすると、女性の場合は0から100までの
ばらつきがある。
そして男性は、自分の行為によって女性が10以上の快感を得たと思うと
興奮するし、それ以下だと恐れるのである。



この小説に登場する女性は、基本的に男性の射精原理主義の範疇に
描かれているように読める。
フェミ的に言えば、男性の道具になっている、ということか。
もちろん、そんな言いがかりがつけられるほど薄っぺらくはない
のだけれど、性をむさぼるような女性キャラクターがいなかった
のは残念だ。


あれだけ素粒子だのなんだの書いておきながら、結局は射精の快感に
もどっていくのはどうなのだろう。
新興宗教の教祖なんてそういうもの、という諦観があるのかもしれない。