- 作者: 中村文則
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2014/12/15
- メディア: 単行本
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大江健三郎の小説になりそこねた作品、という印象だった。
宗教や人間の運命について描いており、2012年ごろの政治状況も
警告している。
その後、2016年に「R帝国」という小説を読売新聞で連載しており、
これも読んだ。
どちらも、当時の政治状況のヤバさをストレートに訴えている。
私も安倍政権は危険だと思うのだが、小説で描くにはまだ生々しい
ような気がする。
が、のちの時代から見ると時事性が記録されていてよかったと
思うのかもしれない。
↓
「教団X」を読むと、性についての根源的な欲望がベースになっている。
終盤では快楽殺人者のような人が出ているし、主人公の楢崎という青年も
女性信者とのセックスに骨抜きにされている。
ここまであからさまにセックスを礼賛しているのは、男性作家だからでは
ないか、と疑問を持った。
というのも、この小説ではセックスの快感がほぼ射精と同義であるからだ。
一般的に男性は射精すると、ほぼ同じ快感が平等に与えられる。
射精原理主義とでも名付けられようか。
だが、女性は違う。
射精という現象がないので、セックスで確定的な快感は平等には
与えられない。
仮に男性の射精の快感が10だとすると、女性の場合は0から100までの
ばらつきがある。
そして男性は、自分の行為によって女性が10以上の快感を得たと思うと
興奮するし、それ以下だと恐れるのである。
↓
この小説に登場する女性は、基本的に男性の射精原理主義の範疇に
描かれているように読める。
フェミ的に言えば、男性の道具になっている、ということか。
もちろん、そんな言いがかりがつけられるほど薄っぺらくはない
のだけれど、性をむさぼるような女性キャラクターがいなかった
のは残念だ。
あれだけ素粒子だのなんだの書いておきながら、結局は射精の快感に
もどっていくのはどうなのだろう。
新興宗教の教祖なんてそういうもの、という諦観があるのかもしれない。