もう決まったことなので今さらなんだ、と思うかもしれない。
しかし、これは反対の声があったという記録を残すための本、なのだそうだ。
というわけで、招致が決まった後(2013年10月30日)に行われた鼎談なので、
あまり激しいトーンではない。ボヤキに近いものがある。
ただ、この時点で決まっていなかった総合プロデューサーに秋元康の名を挙げ、
予言が的中しているのはさすがだった。
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私は東京オリンピックの招致に反対していた。
真夏の東京でマラソンができるのか、と書いたこともある。
が、ロゲ会長の「トーキョー」という言葉で爆発した祝祭ムードに呑まれて
しまい、決まったんならもう何を言ってもしょうがないな、と思った。
なので、そういう雰囲気の中、あえて東京オリンピック反対の本を出す勇気に
敬服する。
というか、この本を出すことが勇気になるような世の中になりつつあることが
怖い。
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オリンピックは美名の影で腐敗している。
それは誰でも知っていることだが、誰もオリンピックをやめようとは
言わない。建前が立派すぎるから、反対できないのだ。
我々はいつまでオリンピックに付き合わなければならないのだろう。
日本国内でいえば、国民体育大会も同様である。
もう各都道府県を一巡したのだから、役割は終えたはずだ。
だが、これも誰もやめようとは言えない。
それを言い出したら、ワールドカップや甲子園にも影の部分がある。
私はスポーツの大会そのものを否定するつもりはないけれど、利権が
弄ばれてはいないか。
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思春期にモテるのは、スポーツが得意な少年である。
男子全体の、ざっと2割から3割ぐらいというところか。
5割から6割が普通にできて、苦手なのがやはり2割から3割ぐらい。
多感な時期にモテないのは、その後の人生に大きな影響を与える。
私がスポーツ嫌いなのも、そのあたりに一因があるのかも。