今日はトラが死んでちょうど10年になる。
トラというのは、このブログの左上の写真のネコのことだ。
私が飼っていたが、病気のため2歳半という若さで死んでしまった。
トラは以前からクシャミ鼻水が止まらず、ウィルスに侵されていた。
子猫のときに予防接種をしていれば、もっと長生きしたはずだ。
私が悪いのである。
死ぬ3週間ぐらい前に、トラは私の部屋から忽然と姿を消した。
必死で探していたら、夜中にアパートの裏で鳴き声がする。
行ってみると、弱りきってうずくまっていた。
すぐに動物病院に連れて行ったけれど、脱水症状を起こしており、
点滴をしないといけないと言われた。
処置をするには、お金が足りなかった。というのも、当時私は失業
しており、家賃を払うのにも事欠いていたからだ。
しかたなく家につれて帰り、ペットボトルにお湯をためてタオルで
くるみ、ダンボール箱にいれ、そこに弱ったトラを入れた。
トラはおとなしくペットボトルに寄り添って寝ていた。
何日か、ペットボトルのお湯を取替えながら看病していたが、トラ
はよくならなかった。
私はどうすることもできず、録画しておいた「PAPAPAPAパフィー」を
見ているだけだった。
ビデオを見終わって様子を見に行くと、すでにトラは事切れていた。
体は硬直し、目は見開いたままだった。
せめてトラが息を引き取るまで、ずっと見ているべきだった。
トラの身体をタオルでくるみ、どこかに葬るための場所をさがして
うちの近くをさまよった。
近くに玉川上水があったけれど、さすがにそこに投げ込むわけにも
いかず、近所の公園の片隅に埋めることにした。
公園の土はけっこう固く、ネコを埋めるぐらいの穴を掘るのに1時間
以上かかった。
深夜に公園で穴を掘っているのだから、怪しまれて当然なのだが、不
思議と誰も通りかからなかった。
トラを埋め、土をかぶせ、家に帰って酒を飲んだ。
飲んでも飲んでも酔わなかった。
明け方になって号泣した。こんなに泣いたのは、小学生のとき以来だ
った。ベッドのシーツが涙で濡れた。
それから、何度か公園に行って、トラを埋めた場所で手を合わせてい
ると、不審な目で見られた。
東京を離れることになったとき、最後にその公園を訪れ、トラに別れ
を告げた。
その後、何度か上京したとき、その公園に行ったら、樹木の植え替え
をしたらしく、トラの埋めてある場所は掘り返されていたようだった。
今年の連休に行ってみると、公園全体が工事中になっており、中に入
れなかった。
もはや、トラの身体は跡形もなくなっているだろう。
いまも近所のネコを相手にして遊んでいるけれど、寝食をともにした
ネコは後にも先にもトラだけである。
そして、あれほど泣いたのも10年前の今日が最後である。