犯罪に使われるもの

先日、愛知県で起こったインターネットで見ず知らずの男たちが女性を拉致・殺害した事件について、
朝日新聞が“闇の職安を放置できない”という社説を載せていた。


新聞の社説に咬みつく趣味はないのだが、なんか違和感があったので考えてみた。
社説では

 犯行の悪質さとともに、今回の事件が浮き彫りにしたのは、インターネット社会の危うさだ
 容疑者たちが知り合ったのは、携帯電話などから接続する「闇の職業安定所」というサイト
だ。互いの素性や本名すらよく知らないまま、顔を合わせると女性を襲う計画を立てた。
 接点のない者同士を、ネットは簡単に結びつける。互いに身元を知られにくいことが、犯行
のハードルを下げた面もあるのではないか。

とインターネットを槍玉に挙げ、

 インターネットは便利な一方で、危うさをはらむ道具だ。犯罪の温床にしないために、知恵
をしぼっていきたい。

と結論づけている。


確かに犯行は卑劣で許しがたいし、犯人たちが知り合ったのもインターネットのサイトである
ことは間違いない。
だからといって、インターネットだけが“危うさをはらむ道具”として糾弾されているのはい
かがなものか。


というのも、この事件で必要不可欠だった道具は、インターネットのサイトではなくワゴン車
だからだ。
道を歩いていた被害者を拉致したのも、殺害したのも、遺体を棄てに行ったのも、全てクルマ
がないとできない。


では、クルマは“危うさをはらむ道具”なのか。
もちろんそうだ。一年間に交通事故で亡くなる人の数は約8000人だし、犯罪に使われたのもこ
の事件だけではない。


だからといって、クルマを社会から一掃しよう、などとバカなことを言うつもりはない。
ほとんどのクルマは、人間の役に立つ便利な道具として使われているからだ。
問題は、なぜインターネットは悪者にされても、クルマは悪者にされないか、ということだ。


ひとつは自動車会社は、メディアの大口広告主だからで、金を出してもらっている会社の製品
について悪口を言うことはできない。
もうひとつは、上述のように、クルマが生活の中に溶け込んだ、なくてはならない道具になっ
ているので、悪者にしても読者が反応しないからだろう。
携帯電話も同様である。


このように、メディアは常に「新しくて分かりやすい悪役」を探している。
それが時代によってはマンガだったりゲームだったりインターネットだったりするだけだ。
なんで悪役がいなければならないかというと、普通は一度にひとつのことにしか怒れないから
である。
他にも怒るべきものはあるのに、別のエサに食いついているのですね。


うがった見方をすると、メディアは自分たちに怒りの矛先が向かないように、生贄を次々と遠
くに放り投げているのかもしれない。


それにしても、この事件にはちょっとわからないところがある。
犯人たちは、道を歩いている女性が大金を持っていると思ったのだろうか。
捕まるリスクが高い犯罪の割には、得るものが少なすぎる、ということに最初から気がつかな
かったとしたら、かなり頭が悪い。


まあ、頭が悪いからこそ、金に困って人を襲ったんだろうけど。
こいつらはムダに健康なんだから、医学に貢献するような実験に、その臓器を提供していただ
きたいものだ。何年も苦しみぬいて死ねばいいと思う。
そうでなくては、被害者の方も遺族も浮かばれまい。


本文と写真はまったく関係ありません

伊丹十三ベントレー