今週までジョアン・ジルベルトが来日してコンサートを開催したらしい。
私も行きたかったが、東京にいてもチケットが手に入らなかっただろう。
最初に来日したときは、これで最後だろうと思っていたが、3回も来てくれるとは予想できなかった。
ブラジルと日本は、直行便でも23時間ぐらいかかるはずだ。
ご老体にはさぞ辛い旅ではないかと思うのだが、案外飛行機に乗っている間は楽なのかも。
それにしても、初来日のときはライブアルバムを発表して、よほど日本が気に入ってくれたのだと
思うと、いちファンとしては嬉しい。
ジョアン・ジルベルトは、「ボサノヴァの歴史」という本に書かれていることを信じるなら、相当に
変わった人に違いないが、ボサノバという音楽のジャンルを作った人間のひとりとして、天才と
呼ぶにふさわしい。
- 作者: ルイカストロ,国安真奈
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 2008/07/28
- メディア: 単行本
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そのみずみずしい活躍を録音した「ジョアン・ジルベルトの伝説」は必聴である。
ところが、このCDの最後に収録されている“O Nosso Amor”と“A Felicidade”が収録時間の
関係で1トラックのメドレーにされており、これを不快に思ったジョアン・ジルベルトが廃盤にして
しまったらしい。
前にも書いたが、ぜひ再発してもらいたいものだ。
このボサノバという音楽は、本国のブラジルでは昔のものとしてあまり聴かれず、むしろ日本の方で
人気があると聞く。
なぜだろうか?
私は、「ジョアン・ジルベルト=古典落語家」説をとなえてみたい。
共通点は、昔のものをたった一人で演じ、一度として同じステージはなく、また歳をとるごとに
深みを増すというところである。
(これは何もボサノバに限ったものではなく、ジャズやブルースもそうかもしれない)
幸い、ボサノバは若くないと唄えないという音楽ではない。
むしろ、ささやくような歌唱方法は年齢によるダメージを受けないと思う。
また、ジョアン・ジルベルトの超絶的なギターテクニックも、ちょいとヨタッている場合もあるが、
渋みとトレードオフになっているのではないか。
言ってみれば、ジョアン・ジルベルトは古今亭志ん生なのである。
(個人的には八代目桂文楽に近いと思うのだが)
そして、日本のファンは志ん生の高座を拝聴するのと同じく、ジョアン・ジルベルトに接しているの
だと思う。
そういう愛し方ができる民族は、落語という文化を持っている日本人だけである。
ジョアン・ジルベルトは、その愛をステージで感じたのだと信じたい。
だから、何度も来日してくれるのだ、と。
ジョアン・ジルベルト師匠は、生きているボサノバなのだ。
YouTube のおかげで、動いている師匠を初めて見ることができました。
ほんまにありがたいことですわ。
One Note Samba
Desafinado