ジョアン・ジルベルト落語家説

今週までジョアン・ジルベルトが来日してコンサートを開催したらしい。
私も行きたかったが、東京にいてもチケットが手に入らなかっただろう。
最初に来日したときは、これで最後だろうと思っていたが、3回も来てくれるとは予想できなかった。


ブラジルと日本は、直行便でも23時間ぐらいかかるはずだ。
ご老体にはさぞ辛い旅ではないかと思うのだが、案外飛行機に乗っている間は楽なのかも。
それにしても、初来日のときはライブアルバムを発表して、よほど日本が気に入ってくれたのだと
思うと、いちファンとしては嬉しい。


ジョアン・ジルベルトは、「ボサノヴァの歴史」という本に書かれていることを信じるなら、相当に
変わった人に違いないが、ボサノバという音楽のジャンルを作った人間のひとりとして、天才と
呼ぶにふさわしい。

ボサノヴァの歴史

ボサノヴァの歴史

そのみずみずしい活躍を録音した「ジョアン・ジルベルトの伝説」は必聴である。
ところが、このCDの最後に収録されている“O Nosso Amor”と“A Felicidade”が収録時間の
関係で1トラックのメドレーにされており、これを不快に思ったジョアン・ジルベルトが廃盤にして
しまったらしい。
前にも書いたが、ぜひ再発してもらいたいものだ。


このボサノバという音楽は、本国のブラジルでは昔のものとしてあまり聴かれず、むしろ日本の方で
人気があると聞く。
なぜだろうか? 


私は、「ジョアン・ジルベルト古典落語家」説をとなえてみたい。
共通点は、昔のものをたった一人で演じ、一度として同じステージはなく、また歳をとるごとに
深みを増すというところである。
(これは何もボサノバに限ったものではなく、ジャズやブルースもそうかもしれない)


幸い、ボサノバは若くないと唄えないという音楽ではない。
むしろ、ささやくような歌唱方法は年齢によるダメージを受けないと思う。
また、ジョアン・ジルベルトの超絶的なギターテクニックも、ちょいとヨタッている場合もあるが、
渋みとトレードオフになっているのではないか。


言ってみれば、ジョアン・ジルベルト古今亭志ん生なのである。
(個人的には八代目桂文楽に近いと思うのだが)
そして、日本のファンは志ん生の高座を拝聴するのと同じく、ジョアン・ジルベルトに接しているの
だと思う。


そういう愛し方ができる民族は、落語という文化を持っている日本人だけである。
ジョアン・ジルベルトは、その愛をステージで感じたのだと信じたい。
だから、何度も来日してくれるのだ、と。


ジョアン・ジルベルト師匠は、生きているボサノバなのだ。
YouTube のおかげで、動いている師匠を初めて見ることができました。
ほんまにありがたいことですわ。


One Note Samba


Desafinado