火事

2001年6月15日に、私の住んでいた三鷹のアパートの隣が火事になった。
友だちに送った過去のメールを読み返してみると、当時の私は失業中だった。
そして、どこかの会社の面接に行き、2時ごろに三鷹駅に戻った。


アパートは下連雀だったので、三鷹駅の南口から出て東の方へ玉川上水沿いに歩く。
その道路には何台も消防車が止まっており、こりゃどっかで火事があったんだな、と
思った。


どんどんアパートに近づくにつれ、消防車の数が多くなっており、消防服を着た隊員たちが
右往左往している。
もしや、自分のアパートが炎上したのでは? 
そう思うと急に不安になって、早足になる。


果たして、私のアパートの隣の民家が燃えており、ちょうど私の前を青いビニールシートに
くるまれた遺体らしきものが担架で運ばれていた。


私の部屋は二階の一番北側にあった(アパートは二階建て)。
慌てて階段を駆け上がり、部屋に入るとすでに煙臭い。
火事になった民家に面した窓を開けると、煙とともに炎が上がっており、まさに私の部屋は
S席最前列といった感じ。


しばらく眺めていると鎮火したみたいだが、くすぶった煙がもうもうと出てくる。
見物したかったのだが窓を閉めた。
その後、日が暮れるまで現場検証やら測量やらがあったらしく、表はがやがやしていた。


その夜、私は晩メシを食べながら、もしあの炎がうちのアパートに来ていたらどうなった
だろうか、と考えた。
私の部屋が燃えなかったのは、単なる偶然にすぎない。
ガラにもなく、妙に不安になった。


いま思うと、あの時の火事がきっかけだったのかもしれないが、私は田舎に帰ることを
決めた。
就職も決まらず、家賃を払うのに精一杯だった生活だったので、最後の一押しになったの
だろうか。


精神的に弱っていたときの決断は、往々にして後悔するものである。
東京に戻りたいなぁ‥‥と思っても、もはやどうすることもできんのだった。
ま、東京に戻りたいっつっても、二郎のラーメンをむさぼり食いたいとか、その程度の
理由なんだけど。


本文と写真はまったく関係ありません

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