からくりサーカス

からくりサーカス (1) (少年サンデーコミックス)

からくりサーカス (1) (少年サンデーコミックス)

1997年の夏に始まった連載が、2006年の今日、完結した。
丸9年間、私はこのマンガを楽しみに、毎週少年サンデーを買っていた。
長い長い物語が終わるのを見届けるのは、いつも感慨深いものがある。
ありがとう、藤田和日郎


からくりサーカス」は、人間に最も近い人形(オートマータ)と、人形に最も近い
人間(しろがね)が戦う話である。


そうすると、話は「人間とは何か?」を描くことになる。
作者は、人を笑わせることができる者・人に微笑みかけられる者が人間である、と
設定している。
もう一歩進めると、誰かを愛することができるか・誰かに愛されることができるか、
というテーマを語っているとも言える。


その物語は、主人公のひとり加藤鳴海としろがね(エレオノール)に託された。
私は、よく演じてくれたとは思うが、最終的なカタルシスは得られなかった。
むしろ、一世代前の才賀正二とアンジェリーナのラブストーリーの方が、文字通り
燃え上がるような恋を描いていて面白かった。


なぜか? 
才賀勝という、もう一人の主人公が存在するからである。


作者は、少年が自立して大人になっていく、というテーマも描こうとして、加藤鳴海
とは別の物語を組み立てたのだが、最終的に加藤鳴海と才賀勝の物語は融合すること
なく終わってしまった。
私は、加藤鳴海と才賀勝が、長い旅の果てにちゃんと再会することを期待していたの
だが、作者はそれを許さなかった。


というのも、長期連載ゆえなのか、倒すべき敵の軸がブレていったのだ。
最初は、才賀勝を誘拐して殺そうとした叔父だったが、このストーリーの最後に
加藤鳴海は左腕を残して、いったん舞台から消える。


しばらくはサーカス団に加わる才賀勝の話が続き、単行本でいうと7巻から、加藤鳴海が
再び姿を現す。舞台はパリ。
ようやく、ゾナハ病と“生命の水”そして自動人形の関係性が明かされる。
次の敵は、最古の四人と言われるオートマータである。


そして、そもそもの発端となった、錬金術師兄弟の女をめぐる喧嘩が語られ、サハラ
砂漠で「真夜中のサーカス」との最終決戦が行われる。
単行本でいうと17巻から22巻の話だ。
私は、ここがひとつのクライマックスだったと思う。
(ここまで、才賀勝のストーリーは、あまり語られていない)


その後、オートマータの造物主であり、すべての原因である白金=フェイスレス
最終的な敵だと分かり、ラストへとなだれ込んでいく。
しかし、藤田和日郎の前作「うしおととら」のように、ふたりの主人公たちが
一致団結して最終決戦に挑む、という流れにはならず、そこがストーリーの疾走感を
抑制しているような気がする。


結局、「純粋な悪意」と化したフェイスレスに対して、主人公たちは決定打を
与えられないまま、物語は終わったのではないか、と思えるのだ。
少年マンガで、そうした業をひとりの少年に背負わせるには、少し荷が重すぎた
のかもしれない。


とはいえ、藤田和日郎というマンガ家は、少年マンガの最良の部分を守っている
数少ない人である。彼の絵にこもる『マンガ圧』は、必ずや読む人を震撼させるだろう。
とにかく、いまはお疲れ様でした、と言うしかない。


実は、このマンガを、ぜひ内田樹先生に読んでもらい、感想を伺いたいと思って
いるのだが、たぶん忙しいから読まないだろうな。残念。