- 作者:司馬 遼太郎
- 発売日: 1988/09/01
- メディア: 文庫
あっさりと読めた。
「芸備の道」では、広島県の三次まで出かけている。
あるお寺に行ったとき
無数にしだれた枝から雨水が糸のようにしたたっていて、葉桜とはいえ、
十分風情があった。その根本に立札が立っていて、
と、四行にわけて書かれていた。立札の脚には「三次市役所」とある。
市の教育委員会もその史実がないことは知っているにちがいないが、
大石が三次に来ようと来まいと、歴史の根幹にかかわるものではないから、
伝承のほうを重んじているのであろう。器量人の態度といっていい。
ただ一説があって、この伝承は古いものではなく、昭和初年に創作
されたものだという。市の商工会議所の人が、三次にはこれという
観光資源もないから、鳳源寺境内に古いしだれ桜があるのを幸い、
あれを大石良雄の手植にしてしまえ、ということであったというのである。
これも来歴としておもしろい。ただし、その創作のいきさつの
ありのままを説明板に書くほうがいい。昭和初年当時、すでに
観光資源の開発という思想があったことがわかるし、それに
当時の観光資源というのは、中世末期に高野聖たちがさかんに
つくってまわった弘法大師の奇蹟の場所と同様、そのたぐいのもの
であったということもわかるのである。さらに当時は、史実よりも
伝承のほうが重んじられたということもわかっていい。『古事記』
『日本書紀』に書かれた“神代”の伝承が、そのまま「国史」として
小、中学校で教えられていた時代なのである。
(p131-132)
なんだか「椿井文書」を思わせるような偽の史跡だが、現在は
どうなっているのだろうか。