先日の「エロマンガ表現史」で書き忘れたことがある。
一般のマンガと違って、エロマンガは読者の性的な興奮を刺激する意図が
なければならない。
面倒くさい言い方だが、男性向けのエロマンガなら、読者が勃起するように
描かなければ意味がない。


なので、作者はできるだけエロいものを描けば人気が出る。当たり前の
話だ。
だが、万人に受けるようなエロさは、どうしても薄く広くなりがちで
ある。


そうすると、自分が興奮するものはこれだ、という明確な主張がある
方が読者の興奮度も上がる。
それがニッチなものであるほど読者の数は減るのだが、俺が読みた
かったのはこれだ、というシンクロ率は上昇する。


要するに、フェティシズムが細分化されるほど、読者の数とエロさは
反比例するということだ。


そして作者がフェティシズムを追究するほど、新しい表現が生まれてくる
と言えるのではなかろうか。


不思議なことに日本は多様なフェティシズムに寛容な国だ。
外国からすれば、こんな欲望を表現していいんだ、と驚かれるだろう。


この多様性こそが我が国の強みである。
それを潰そうとするのは愚の骨頂ではあるまいか。