Boaz2015-09-02

もう50年ぐらい前に指摘されていると思うのだが、建築はジャンルとして発展する
余地があるのだろうか。


音楽にせよ絵画にせよ、新しい表現を求めて、今までにない何かを生み出そうとして
ある程度のところで行き詰まったわけだが、建築の分野もそうではないのか、と。



ここでいう「行き詰まり」とは、そのジャンルの形式を破壊するような表現まで
至って、もはやそれは音楽と呼べるのか、とか、そういう地点にきてしまうこと
である。


ただし、それは前衛が行き詰まっただけであって、枯れた技術というか、今までに
培ったもので快適なものは作れるわけで、ポピュラーなものはそうした快適さを
求められていると思う。



私の好きなマンガというジャンルでいうと、赤塚不二夫が見開きで実物大のキャラ
クターを描いたり、全部左手で描いたりするのが前衛で、マンガという表現の可能性
を探ったものである。


しかし、ほとんどのマンガは、従来の形式を守って、絵や物語を工夫している。
ほとんどの読者もそれで満足している。
ジャンルとしては成熟したが、描かれる中身にはまだまだ可能性があるのだ。



で、建築の前衛というのはどうなっているのか、ということである。
これは○○なのか? と人をギョッとさせるようなビルや公共施設がときどきあるが、
それらは果たして建築の可能性を広げた結果なのだろうか。


いわゆるアートの分野と違って、建築は公共性が求められるし、莫大な費用もかかる。
(逆に言えば、建築家と独裁者はとても相性が良い)


プライベートで何かを建てるのなら、俺スゲー的なものを作ってもかまわないかも
しれないが、税金を使う公共の建物を作るときに、果たして建築家のエゴというのは
要るのか、とさえ思う。



さらに、発注する人が専門家でない場合が多いことも、建築家の立場をいびつにして
いないか。
漠然としたイメージを現実の建物にするのは創造性を刺激されると思うのだが、
使いやすくてフツーのものを提示してもいいのではなかろうか。


私にはもはや建築のジャンルも成熟してしまったように思えるのだが。