Boaz2013-12-02

デモは英語のデモンストレーションの略である。
かつては示威行動と呼ばれた。


示威とは、威力を示すこと、という意味だそうだ。
威力は何の威力かというと、大勢の人の力である。
人間の集団が何をするかというと、最終的には暴動につながる。


つまり、俺らはいつでもやってやるぞ、ということを訴えるために
声を上げて歩くのである。


日本ではその根本の意味が失われ、実に平和的な集まりになっている。
だから、どんなに人が集まろうがどんなに騒ごうが、建物の中の人に
とっては「うるせぇなぁ」ぐらいにしか感じない。


これが途上国だと、ちょっとした暴動になるので、体制側はすぐに
鎮圧しようとするし、そもそもデモをさせないようにしている。
デモは本当は恐ろしいものなのだ。



近代以前は、民衆と支配者の武器に大きい差がなかったと思う。
弓とか剣とか槍とか、そういうものが主力だった時代だ。
これらは、民衆が調達しようと思えば、わりとたやすくできた
はずだ。
なので、支配者にとって群衆は怖かったろうと思う。


が、銃の出現によってそのバランスは崩れる。
そして近代的な軍隊ができて、新しい兵器がどんどん作られて
いくと、もはや群衆など皆殺しにできるほどの戦力差になった。
普通の人が戦車や爆撃機を調達することは不可能である。


ということは、ほとんど武器を持たない民衆が何万人集まろう
とも、軍を味方につけない限り、暴動に意味はなくなる。
(逆に武器が流通すると内戦になる)



私が現代の、特に日本のデモに意味がないというのは、この点に
おいてである。
訴えられた人が恐怖を感じないのだから、その声が届くことは
ない。ただの自己満足である。


本気で体制を動かそうとするなら、恐怖=テロという手段をとる
ことが現実的だろう。


もうひとつは、選挙で政治家を選ぶことだが、現在の政権は国民が
投票した結果である。だとしたら不利益を被るのもまた国民だ、と
いうことになる。


実際には、選挙の洗礼を受けない官僚が笑っているだけなのだが。
もし私がテロリストなら、事務次官クラスの官僚を(ry