分類という思想

分類という思想 (新潮選書)

分類という思想 (新潮選書)

人にはモテ期ならぬ頭イイ期があって、私の場合はだいたい20年前
だった。
頭イイ期といっても相対的なもので、本当に頭が良くなったわけ
ではなく、ただ背伸びをして難しげな本を買っていただけである。


で、この本もちょうどその時期に買ってはみたものの、数ページで
挫折した。
しかし、以前ここで紹介した、やはり池田清彦の「科学はどこまで
いくのか」という文庫本の中に、この部分を詳しく知りたければ拙著
「分類という思想」を読むべし、と書いてあったので、20年ぶりに
本棚から発掘したというわけだ。


結論を言うと、なんとか通読できたものの、さっぱり分からなかった。
特に後半の分析分類学や系統分類学への批判は、専門の学者でないと
理解できないのではないか、と思った。


池田清彦は、この本を書く前から構造主義生物学を主張している。
ざっと四半世紀以上経っているが、果たして学会では分析分類学
廃れて、構造主義生物学は主流になっているのだろうか? 
そのあたりも、専門家でないと判断できないのだろう。



そもそも分類することは、何かの基準でものを判断することであり、
それを他人に伝えるときには言語が使われる。
ということは、分類とことばは不可分の関係にある、と書いてある。


そこからソシュールの話になっていき、このあたりはまあさすがに
私もなんとかついていける。


そこで脱線するのだが、学者がソシュールの恣意性の話をするとき、
例に上げる動物は、だいたいイヌかネコである。
おそらく好きな動物を思い浮かべて説明しているのだろう。
ちなみに池田清彦はイヌ派である。


だれか、ソシュールの言語の恣意性の話をするときに出す例を分類
してくれたら、たいていイヌ派かネコ派に分かれると思うのだが、
暇な人がやってくれないですかね。