- 作者: 池田清彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1992/11/01
- メディア: 単行本
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だった。
頭イイ期といっても相対的なもので、本当に頭が良くなったわけ
ではなく、ただ背伸びをして難しげな本を買っていただけである。
で、この本もちょうどその時期に買ってはみたものの、数ページで
挫折した。
しかし、以前ここで紹介した、やはり池田清彦の「科学はどこまで
いくのか」という文庫本の中に、この部分を詳しく知りたければ拙著
「分類という思想」を読むべし、と書いてあったので、20年ぶりに
本棚から発掘したというわけだ。
結論を言うと、なんとか通読できたものの、さっぱり分からなかった。
特に後半の分析分類学や系統分類学への批判は、専門の学者でないと
理解できないのではないか、と思った。
池田清彦は、この本を書く前から構造主義生物学を主張している。
ざっと四半世紀以上経っているが、果たして学会では分析分類学は
廃れて、構造主義生物学は主流になっているのだろうか?
そのあたりも、専門家でないと判断できないのだろう。
↓
そもそも分類することは、何かの基準でものを判断することであり、
それを他人に伝えるときには言語が使われる。
ということは、分類とことばは不可分の関係にある、と書いてある。
そこからソシュールの話になっていき、このあたりはまあさすがに
私もなんとかついていける。
そこで脱線するのだが、学者がソシュールの恣意性の話をするとき、
例に上げる動物は、だいたいイヌかネコである。
おそらく好きな動物を思い浮かべて説明しているのだろう。
ちなみに池田清彦はイヌ派である。
だれか、ソシュールの言語の恣意性の話をするときに出す例を分類
してくれたら、たいていイヌ派かネコ派に分かれると思うのだが、
暇な人がやってくれないですかね。