日本人の質問

日本人の質問 (朝日選書 232)

日本人の質問 (朝日選書 232)

ドナルド・キーンは、日本の学会ではどのような扱いの人なのだろうか? 
別にどんな扱いだろうと私には関係ないのだけれど、日本文学を米国で教える、
という特別な立場なので、腫れ物に触るような感じで接しているのかもしれない。


この本の最初の方は、これまでドナルド・キーンが何度も質問されたことについて
答えている。
それ以外では、講演の記録だったり、雑誌や新聞に掲載されたものを収録している
が、あまり面白くない。


おそらく、日本に来た外国人は、今でも典型的な質問を受けてうんざりしているだ
ろう。
それは海外で日本人が受ける質問とパラレルな関係だと思う。
我々は、依然として違う文化圏から来た人間のことを、エイリアンのように感じて
いるのかもしれない。


ドナルド・キーンは日本の文学を何十年も研究している学者である。
なので、普通の日本人よりも、よほど日本の文学に詳しい。
当たり前の話だ。


ところが、日本人なら外国人よりも日本の文学に詳しくなければならない、と勝手
に思い込んでいる人がいかに多いか。

 研究室の訪問客にもう一つの種類がいる。本棚に並んでいる数々の俳句関係の本
を見て「恥ずかしい」と言う日本人は珍しくない。言うまでもなく、「恥ずかしい」
という発言は、外国の大学の研究室にみっともない日本語の本が置かれていること
を恥ずかしいと思っているからではないく、自分が読んだこともない、または読み
たくないような日本文学の本が外人に読まれているという意味からである。


日本の文化は「恥の文化」とも言われてきたが、日本文学を三十数年前から勉強し
てきた私が、日本人の地質学者や電気工学者よりも日本文学をよく知っていること
が、果たして日本人の恥になるだろうか。本当にそんなことを恥ずかしく思う地質
学者がいるとしたら、彼らは地質学を全然知らない私に対して、逆に威張ってもよ
いはずだ。

と書いてあると、なるほどと思う。


あと、後半の方のエッセイを読んで初めて知ったことだが、ドナルド・キーンは太
平洋戦争のときに沖縄上陸作戦に従軍し、日本人の捕虜の尋問をしていたらしい。
沖縄の地上戦では、多くの悲劇があったけれど、ドナルド・キーンはそういうもの
を目撃したのだろうか、と思った。


ドナルド・キーンが書く日本語は、非常にフラットな感じがする。
逆に、英文で書いたものの翻訳を読むと、かなり固い文章だった。
やはり母語で書いた方が、伸び伸びとでき、難しい表現もできるのだろう。