Boaz2012-09-21

アニメ氷菓の最終話「遠まわりする雛」を見た。
主人公のシャーロック・ホームズくんは、見事ヒロインに心を
奪われたようである。


22話かけて丁寧に紡がれた物語は、凡百のラノベ原作アニメとは
違う地平にあるものだと思う。
といって、ラノベ原作アニメにも面白い作品はあるので誤解しな
いでほしい。


純文学と大衆小説の違いは、純文学がなんだか分からない人間の
心をなんだか分からないように描くのに対して、大衆小説は勧善
懲悪の世界を描く、とされている。


いま読んでいる橋本治の本によると、大衆小説はもともと明治時代
の講談をベースにしており、そんな無茶な、ということでも気合で
なんとかするというストーリーが受けたのだそうだ。
なので文学とは出自が違い、一段下に見られていた。


その大衆小説の子孫がライトノベルであろう。



2chのアニメ板では、よく「鬱展開」という言葉が使われる。
ハッピーな物語にならないことを意味しているらしい。
一部の視聴者には、この「鬱展開」は嫌われている。
それは当然だろう。勧善懲悪の世界が崩されるのだから。


一方、製作者側は、あまりに勧善懲悪的なストーリーだと薄っぺ
らいと思うのか、ちょっとビターにしようと考えたのだろう。
そのあたりの認識のズレは、純文学と大衆小説の成り立ちの違い
から発生しているのかもしれない。


氷菓」の原作小説はライトノベルではなく、どちらかというと
純文学寄りのミステリ作品である。
これをきちんとアニメ化したことは、大げさに言えば視聴者を
少し大人にしたのではないかと思う。


純文学とアニメはあまり相性がよくないと思うが、このような
成功例もあるので、プロデューサーはどんどん企画を出して
ほしい。
もっとも、その作品のブルーレイを買う層がどのくらいいるかと
いえば心許ないのだが。