アニメ氷菓の最終話「遠まわりする雛」を見た。
主人公のシャーロック・ホームズくんは、見事ヒロインに心を
奪われたようである。
22話かけて丁寧に紡がれた物語は、凡百のラノベ原作アニメとは
違う地平にあるものだと思う。
といって、ラノベ原作アニメにも面白い作品はあるので誤解しな
いでほしい。
純文学と大衆小説の違いは、純文学がなんだか分からない人間の
心をなんだか分からないように描くのに対して、大衆小説は勧善
懲悪の世界を描く、とされている。
いま読んでいる橋本治の本によると、大衆小説はもともと明治時代
の講談をベースにしており、そんな無茶な、ということでも気合で
なんとかするというストーリーが受けたのだそうだ。
なので文学とは出自が違い、一段下に見られていた。
その大衆小説の子孫がライトノベルであろう。
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2chのアニメ板では、よく「鬱展開」という言葉が使われる。
ハッピーな物語にならないことを意味しているらしい。
一部の視聴者には、この「鬱展開」は嫌われている。
それは当然だろう。勧善懲悪の世界が崩されるのだから。
一方、製作者側は、あまりに勧善懲悪的なストーリーだと薄っぺ
らいと思うのか、ちょっとビターにしようと考えたのだろう。
そのあたりの認識のズレは、純文学と大衆小説の成り立ちの違い
から発生しているのかもしれない。
「氷菓」の原作小説はライトノベルではなく、どちらかというと
純文学寄りのミステリ作品である。
これをきちんとアニメ化したことは、大げさに言えば視聴者を
少し大人にしたのではないかと思う。
純文学とアニメはあまり相性がよくないと思うが、このような
成功例もあるので、プロデューサーはどんどん企画を出して
ほしい。
もっとも、その作品のブルーレイを買う層がどのくらいいるかと
いえば心許ないのだが。