ステマあれこれ

今日の朝日新聞に、阿部和重2chステマ騒動について書い
ていて面白かった。
ひとたびステマ疑惑が生じると、何事も素直に信じられなくなって
しまい、信頼性はもう元には戻らない、という話だった。


ところで、ステマの害というのは何だろう? 
例えば、ある食べ物がおいしい、と誰かが書いていたとする。
そしてこれがステマであるとする。


1.素直に信じた人
A) うまい。そのとおりだった。買ってよかった。
B) まずい。なんだよ、嘘ばっかじゃねぇか。
C) 買わないけど、あれっておいしいらしいね。
2.疑った人
D) やっぱまずいな。俺は正しいぜ。
E) あれ、意外とうまい。なんか悔しい。
F) 買わないけど、あれってステマらしいね。


というパターンが考えられる。
この場合、確実に損をしているのは B さんである。
信じていたのに裏切られたのだからダメージは大きい。


次に損をしているのは D さんであろう。
まずいものを食べたけれど、自分は正しかったという心理的
保証は残る。

A さん や E さん のような人は、結果的にうまいと思っている
のだからステマであろうがなかろうが関係ない。
(が、ステマ疑惑を持つ人は、このような実際に食べた人の
情報も疑ってかかることになるのだ)


問題は、食べてないのに情報だけを拾う C さんや F さんだ。
ステマは C さんを増やすことを目的にしているのだろう。


私が思うに、ステマだと騒いだ人たちは、自分は騙されやすい
人間ですよ、と宣言しているに等しい。
実際に自分で確かめる習慣があれば、ステマだろうが何だろう
が関係ないはずだ。


たぶん、そういう人たちは、情報を効率よく集めて、なるべく
無駄なく損をしないように生きたい、と思っているのだろう。
「面白い本を教えてください」だの「感動する映画は何ですか」
だの質問している人がそうだが、面白いものは自分で無駄足を
踏んで手に入れるものだ。
だって、何を面白いかと思うかは人それぞれだから。


ただ、自分が信じられる人を見つけて、それを頼りに情報を
集めるのはいいかもしれない。
私は、映画や本なら小林信彦の批評を信じたし、音楽なら山下
達郎の判断を評価した。


今の若い人は、何でもサクッと検索できるかわりに、この人
なら大丈夫、という文化的な師匠を見つけられない不幸な時代
に生きているのかもしれない。