今日は、厚切りベーコンとぶなしめじと白菜たっぷりのクリーム
シチューを作った。旨かった。
特別な材料を使ったわけでもなく、ただ普通に作ったクリームシ
チューの何が旨かったのか、と考えてみると、自分のイメージと
ぴったり重なっていたからだ、という結論に達した。
今日は小雪がチラつくほど寒かったので、本屋に出かけて帰ると
きに、絶対に熱々のクリームシチューを食べるのだ、と決めた。
震えながらスーパーに行って材料を買ってきて、腹ペコの状態で
野菜を切って煮込んだ。
果たして、自分が想像したとおりのものが出来上がったので、喜
びにひたりながら食べたのだった。
独身の人は、だいたい自分の食べたいものをチョイスできるので、
イメージにズレがないはずだ。
面倒くさいときは、牛丼とかコンビニの弁当とかを食べることも
あろう。
それほど旨いものでなくても、あらかじめ味が想像できるので、
期待を裏切られることはない。
問題は、献立を決める人と食べる人が別の場合である。
今日は絶対クリームシチューが食べたいのだ! と思っていても、
残念ながらそうでないことがあるだろう。
別にまずくはないのだけれど、今日はこれじゃなかったんだよなぁ、
という言葉を飲み込みながら食べたこともあると思う。
私は、そういう人をちょっと可哀想に思う。
ただ、人間はいつも、これが食べたい、とはっきり決めているわ
けではない。むしろ、そういう日の方が少ない。
私は、具体的にこれが食べたい、と思える日が多い人は、そうで
ない人よりも幸せなんじゃないかと思う。
(むろん、簡単に手に入る範囲での話だが)
明日は今日のシチューの残りを平らげる予定だ。