バケルくん

バケルくん〔F全集〕 (藤子・F・不二雄大全集)

バケルくん〔F全集〕 (藤子・F・不二雄大全集)

藤子・F・不二雄全集のうちの1巻。
すでに置き場所に困り始めております(ノ∀`)


「バケルくん」は小学生のとき、てんとう虫コミックスで読んだのが
最初で、「ドラえもん」と同時に学年誌に連載されていたとは知りま
せんでした。
だから“ぼく、桃太郎のなんなのさ”という作品で、ドラえもんとバ
ケルくんが共演していたのですね。


さて、今回の全集は「バケルくん」のコンプリートであります。
私が読んでいなかった作品も収録されていました。
それが、1984年に別冊コロコロコミックに連載されたやつです。


この作品は、人形に自分の心を入れて、その人形の能力を手に入れる、
という設定であります。
なので、心は本人なのですが、宿題ができたりスポーツができたりす
るようになるわけですね。


小学生の低学年向けのマンガなので、いろんな役割をとりかえる、ご
っこ遊びを洗練させたものだと考えればいいと思います。


ところが、オッサンになって読んでみると、どうも納得できないとこ
ろがある。
別にそれで作品の価値が下がるというわけではないのですが、気にな
る。


それは、心と身体の問題であります。


例えば、主人公の男の子がユメ代という女の子に変身する。
そうすると頭のいい女の子になって、宿題を片づけたり、困ったこと
を解決できたりするわけです。


これはひとつの能力ですから、心が少年でも別にかまわない。


あるいは、気付かないで身体を入れ換えられる場合もあるのですが、
身体が別のものになっても、心は全く変わらずに行動している。
つまり主体は心だということになります。


1976年の小学四年生3月号で、主人公の男の子は、好きな女の子の
姿をコピーして、自分の思う通りのことを言ってもらう、という
話があります。
主人公の男の子は一瞬、冷静になって、これって自分が自分と会話
しているんだけどなぁ、と醒めそうになるのですが。


このエピソードはF先生も気に入ったのか、1984年の別冊コロコロコ
ミック9月号でも同様の話を描いています。
ただし、コピー人形ではなく合体人形というものを使っています。


大きな違いは、1984年のバージョンで、女の子の身体に主人公の男の
子の心が入っているにも関わらず、鏡で自分の裸を見ても何も感じな
いシーンがあるところです。


つまりですね、オッサンになって分かるのは、もし好きな女の子のボ
ディに自分の心を入れることができたら、普通なにをするか、という
ことです。
私なら、あんなことやこんなことをしちゃいます。エロエロです。


でも、さすがに子供向け作品なので、倫理観が働いたのでしょうね。
なぜか身体と心が連動して、男の子の心が入っているはずなのに、身
体に影響されて女の子の気持ちになってしまっているのです。


実は、他のエピソードにも、心と身体の整合性がよくわからなくなっ
ているものがあるのですが、ある意味とても哲学的な作品ではないか
と思うのであります。