西の魔女が死んだ

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

西の魔女が死んだ (新潮文庫)

帯に「映画化決定」とあるのだが、実写なのかアニメなのか分からない。
ググるとすでに完成しているみたいだ。
なんだか地味な印象だけど、ゲンジさん役の木村祐一には納得。
ナイス・キャスティングだ。


おばあさん役の人のキャスティングは難しかっただろう。
日本語の達者な白人の老女というのは、なかなかいないのではないか。
パッと西川ヘレンが思いついたが、やはり違うような気がする。
主人公の女の子は、Berryz工房菅谷梨沙子がよかったが、実際は演技のできる子に
なっているみたいだ。


この物語は、タイトルにもあるように、主人公のおばあさんが死ぬ話である。
それは誰でも分かるのだが、最後に洒落たしかけがあって、さわやかな読後感がある。
小6から中1ぐらいの女の子が読むのにちょうどいいだろう。


オッサンが読むと、フェミニズム臭がかすかにするのと、おばあさんがお洒落すぎて
ちょっと鼻につく。日本人と結婚した英国人女性、という設定だからこそ描ける話だ
と思うが、こういう人を出さないといけないところに、いまの日本の家族のあり方の
風通しの悪さが現れているのかもしれない。


前に読んだ内田樹の「疲れすぎて眠れぬ夜のために」には、このようなことが書いて
あった。

 レヴィ=ストロースによれば、ほんらい親族の基本構造は四項関係です。お父さん、
お母さん、お母さんの兄弟(おじさん)、そして男の子です。これは男の子を中心に
した場合で、女の子を中心に取ると、お父さん、お母さん、お父さんの姉妹(おばさ
ん)と、女の子という四項になるはずです。
 どちらの場合であれ、親の代の水準に、自分と同性の大人が二人必要なのです。


(中略)


 いずれの場合も、親権の行使に対して、親たちの兄弟姉妹が横から介入してくる、
というのが、親族の基本構造です。これがほんらいは親族の最小単位なのです。人類
学によれば、すべての人間集団は有史以来この四項の構成員によって親族を構成して
きました。


 ところが、近代以降になって、はじめて「おじさん・おばさん」を構造的に排除し
た「核家族」というものが大量出現することになりました。
 人類学的基準に照らして言うなら、核家族は「不完全なシステム」です。ほんらい
親族を構成する上で必要なものを欠いているからです。


西の魔女が死んだ」の家族も核家族である。
おばあさんは遠くの田舎で暮らしている。
主人公の女の子が不登校になったとき、いちばんの味方になってくれたのは、身近に
いる両親ではなく、遠くのおばあさんだった。


この場合、おばさんではなくおばあさんだったけれども、親族の基本構造に照らし合
わせると、親ではない同性の大人が必要なのだろう。


それにしても、主人公に嫌われていたゲンジさんという人は、私から見ると特に嫌わ
れるような理由もないような気がする。思春期の少女にとっては嫌悪感しかないのか
もしれないが。


また、学校に復帰した主人公が一人の友だちを見つけるきっかけになったエピソード
も、「あること」としか書かれておらず、よくわからないままだ。
ボーナストラック的に収録されている「渡りの一日」という短篇にも書かれていない
ので、別の作品にあるのかもしれない。


どんな映画になるのか、楽しみに待っていることにしよう。