ブラジルのリオデジャネイロに行ったとき、コパカバーナとレブロンのビーチを訪れたことが
ある。
イメージ的には、Tバックで褐色の肌のギャルがキャッキャと戯れているのを想像して気もそ
ぞろだったが、現実は太った米国人の観光客が黙々とジョギングをしているだけだった。
5月だったから時期はずれだったのかもしれない。
友だちとビーチに腰を下ろし、何をするでもなく大西洋を見つめていた。
ナンパなんてできるわけもなく、ただただ砂をかきあつめて山を作った。
「砂山」という童謡(♪海は荒海 向こうは佐渡よ)をふたりで口ずさんで、景色と自分たち
のギャップに沈み込んでいったりしたっけ。
そこへ、サンオイルを売りにブラジル人の少年がやってきた。
サンオイルといっても、給食に出てくるジャムみたいな袋に入っており、どう見てもまがいも
のだったのだが、100円もしなかったので買った。
塗ってみると、いやにベトベトして気持ち悪い。
そのうちかぶれてきたので、あわてて海に入ってこすり落とした。
あの赤い液体は何だったんだろう。今でも謎だ。
やることがないので、海岸をずっと散歩してからホテルに戻った。
世界的な観光地に来て、俺は何をやっておるのだろう、と悲しくなったものです。
ま、コパカバーナはおろか、たとえ湘南のビーチでも私は同じように惨めなのだろう。
海水浴の何が楽しいのか、考えるほど分からなくなる。
子供のころは、何も考えずに海に入ってはしゃいでいるだけで楽しかったのに、オッサンにな
ると泳ぐ気にもなれない。
きっと米国人なら「ビーチで楽しむ50の方法」なんて本でも読んで寝転がっているんだろう。
ワイキキの海岸で、ただ横になっている人々を見るにつけ、よく我慢できるなぁと感心する。
私だったらホテルでカクテルでも飲んでいるがなぁ。
海水浴が楽しいというのは、たぶん幻想にすぎない。
なのに、毎年どこの海岸も若者でいっぱいになる。彼らの半分ぐらいは、何が楽しいのか本当
は分からずに集まっているのだ。
「青春デンデケデケデケ」という映画で、主人公が突然、女の子に海へ行こうと誘われ、ただ
泳いで弁当を食べて帰り、彼女は何がしたかったんだろう、と思うシーンがあるのだが、あの
気持ちはよく分かる。
(いや、彼の場合は、女の子の水着姿をチラ見するだけでも意義があったかもしれない)
そもそもビーチというものは、アメリカナイズされた空間にすぎんのではないか。
その幻想に乗っかる人がこれだけいるということは、よほど映画や音楽でビーチは恋が生まれ
る素敵な場所だ、と宣伝したんだろう。
もう10年以上ビーチに行ったことのないオッサンは、夏の終わりをしみじみ感じながら、幸せ
そうな若者たちをこんなふうに呪うのだった。