たいていの不幸は、他人から指摘されるまで気がつかないものだ。
たとえば私は近所に友だちもおらず、妻も恋人も愛人もおらず、年老いた両親と同居している
のだが、それほど苦痛ではない。
でも、誰かが「そりゃ寂しいなー。そんなんで人生楽しい?」などと言ったら、初めて自分は
すごく孤独なのだな、と思う。言われたことはないけど。
しかし、ネズミが空を飛べないように、自分ができもしないことに憧れてもしょうがない。
私はこのどうしようもない人生をしばらくは受け入れなければならない、と諦めなければやっ
ていけないだろう。
そもそも、私が人嫌いだから孤独になるんだし。
だから、一度そう思ってしまえば、孤独というのは案外と慣れてしまえるものだ。
幸い、いまはテレビや本の他にネットもあるし、暇はいくらでも潰せる。
こうして現実や架空の他人のやりとりを傍観するだけで、あっという間に時間は経っていく。
とはいえ、悟りを開いた高僧でもないので、ときおり死にたくなるようなウェーヴがやってく
る。こういうときに酒を飲んだりタバコを吸ったりする。
そうすると身体が疲れてしまい、ぐったりして死にたくなるような気力さえ奪われる。
これは私が虚弱だからできることで、ふだんから酒やタバコを嗜む人にとっては意味がない
かもしれない。
こうして孤独の副作用をやりすごすと、なんでもないようなことが楽しく思えてくる。
たとえばきれいな花が咲いているのを見るとか、うまいラーメンを食べたとか、そういう日常
が愛おしくなる。ありがたいなぁと思う。
このようにして、自分の脂ぎった欲望をだんだん枯らしていくのが、孤独に慣れるコツだと思
うけれど、その代わり細かい欲望が増えていくような気もする。
それさえもなくなってしまえば、もはや生きている意味もないんだろうけど。
とりあえず、今日の晩ご飯は何にしようと考えることが、孤独に慣れる一番いい方法なんじゃ
ないかな、と思う。
なので、自炊できない人は絶対に孤独になってはいけない。
冗談みたいに聞こえるかもしれないけど、本当です。