お金で買えないもの

NHKのドラマ「ハゲタカ」が終わりました。
とてもいい作品だったと思います。


不思議なことに、このドラマは経済の話だけに集中しており、それぞれのキャラクターの
恋愛事情は一切明らかにされていませんでした。
ベタな展開なら、大森南朋栗山千明との間に何かあってもよさそうなのですが、性的な
ものを匂わせる描写はまったくなかったのです。


にもかかわらず、このドラマは面白かった。
それは、単に私の興味が恋愛よりも経済にあったからかもしれません。
でも、多くの視聴者は、大森南朋が最後までクールな人間であってほしいと望んでいたと
思います。
だからこそ、最後に彼がレンズ職人を説得した言葉に重みがあったのではないかと。


たしかに99.9%のことは金で解決できる。
しかし、残りの0.1%にある何かが全体を変えることだってある。
そういうことを学んだ、という台詞がありました。


世の中にはお金では買えないものがある、という言葉は、お金を持っていない人にとって、
快く響きます。
金持ちと貧乏人がフラットな関係になるような錯覚を抱かせるからです。


私は、お金で買えないものというのは、技能・技術ではないかと思います。
もっというと、技能・技術を習得する時間ではないでしょうか。


例えば、いま私にビル・ゲイツと同じぐらいの資産があったとしても、お金を払えばすぐ
にピアノが弾けるようにはなりません。
最高のピアニストを部屋に呼んで、自分だけのために演奏させることはできるでしょうが、
私自身が好きなようにピアノを弾くことはできないのです。
(武術やスポーツ、セックスについても同じことが言えますね)


そうすると、お金で買えるものというのは、常に自分の外側にあるものだけになります。
人間の欲望は無限にありますから、欲しいものはいくらでもあるでしょう。
自分の身体を使って何かを達成したいと思わない限りは、すごく楽しいはずです。


一方、職人や芸人、スポーツ選手はその逆ですね。
自分の内部(=身体性)を時間をかけてとことん磨いていく。
一流の人になれば、何億円も稼ぐことができます。
お金は、そのかけがえのない技能・技術に対して支払われているのです。


もちろん、金融等で稼ぐ能力がある人は、その能力に対してお金が支払われているわけで、
職人と同じなわけですが、そこには身体性の有無があります。


マネーは抽象的なもの(=お札なんてただの紙きれ)ですから、それを増やそうとする方
法も抽象的なものにならざるを得ません。
頭脳は抽象的なものが得意ですから、身体性は二の次になります。


下世話な例で言いますと、脳内で一晩に500回射精したいと思っても、実際にそんなことが
できる身体を持った人は(たぶん)いません。
本当にやろうとしたら、途中で死んでしまうでしょう。
身体を無視して、脳内だけでものごとを処理する欠点はそういうことだと思います。


いまの経済がそういう歯止めを持っているのかどうかは分からないのですが、身体が悲鳴を
あげるように、世の中のいろんな部分で問題が出ているような気もします。


私の言ってることは、養老孟司唯脳論を間違った解釈で述べているだけかもしれません。
結局、自分の身体に関する限りは、時間とお金はトレードできないんじゃないかなぁ、と頭
が悪いなりに考えただけです。


それにしても、ムダに生きていると、お金にはかえられない技能や技術が何一つ身につきま
せんなぁ。
私は無能で貧乏という最悪のパターンですわ。ははは。


本文と写真はまったく関係ありません

時間をかけないと良いものはできないことを証明したのが、ミュージカル「リボンの騎士」でしたね