蝉の抜け殻

私が通っていた中学のとなりに、市が管理している空き地があった。
出入り口に柵があり立ち入り禁止だったので、木々や雑草が生い茂り、虫もたくさんいた。
だが、塀を乗り越えて簡単に出入りできるので、近所の小中学生にとっては、いい遊び場
だった。


夏休みだったか、私は“ほくさん”というあだ名の友だちと、例によって塀を乗り越え
空き地に入っていった。
ほくさんはお寺の子供で、あだ名の由来は聞いたけど忘れた。


私とほくさんは、ともにブラスバンド部に入っていた。
私はホルン、ほくさんはトロンボーンだった。
8月は吹奏楽コンクールの地方大会があったので、夏休みもずっと練習していたから、その
ときに空き地に行ったのかもしれない。


「暇やのう」などと言いながら、私たちは空き地をぶらぶらしていた。
すると、木の幹に蝉の抜け殻が驚くほどびっしりついていたのを発見した。
私はなんだか嬉しくなって、そっと抜け殻を幹から取り外し、光に透かせて見ていた。


蝉の抜け殻はとてもきれいに見えた。
ちょっと透明がかった飴色で、目玉や脚がきれいにかたどられていて、そのまま持って
帰って机の上に飾りたかった。
そうだ、持って帰るなら、なるべく大きいのにしよう。
ポケットに入れると割れるかもしれないから、何かに入れるまでは慎重にしないといけない
な‥‥


そんなことを思っていると、傍らでバリッという音がした。
ほくさんが蝉の抜け殻をつぶしていたのだ。
「何しよん!?」
私は思わず叫んでいた。


ほくさんは、何も返事をせず、またひとつ抜け殻を握りつぶした。
「かわいそうやんか」
私がそう言うと、ほくさんは不思議そうな顔をした。
「だって、これは抜け殻やろ?」
「それはそうやけど‥‥」


私はせっかく自分が持って帰ろうと思っていた大切なものが、粉々になっていくのに
耐えられなかった。
今思うと、そのときの私には、蝉の抜け殻を気に入って見ていた自分を否定された
ような気がしたのだ。


中学生の私は、
「ほくさんはお寺の子やんか‥‥」
としか言い返せなかった。
当たり前だが、お寺の子であろうがなかろうが、そんなことは全く関係ない。
ほくさんは、きょとんとしていた。


理屈では、蝉の抜け殻なんて何の意味もないもので、いつかは朽ち果ててしまう。
人がつぶそうがどうしようが、誰も困らないし、悪いことでもない。
抜け出して成虫になった蝉だって、もう抜け殻なんかに用はないのだから文句も
言わないだろう。


蝉の抜け殻に感傷的になるのは、私の勝手である。
みんながみんな、私のように蝉の抜け殻を見てしみじみすることはない。
オッサンになった今なら、そういう風に思えるのだが、当時はなんだかモヤモヤした
気分のまま、空き地を去ったような気がする。


今年の4月に、たまたま通っていた中学の横を通りかかると、あの空き地は駐車場に
なっていた。
ほくさんはとっくに修行を終えて、立派な住職になっている。
たぶん、蝉の抜け殻のことなんか覚えてもいないだろう。