新宿4丁目

暑い。
2000年の夏も暑かった。
私は、7月下旬から約一ヶ月を新宿4丁目で働いたことがあった。
道路工事の交通警備員をしていたのだ。


新宿4丁目というのは、ちょうど高島屋新宿高校の間にある地番で、JR新宿駅南口を出て
甲州街道沿いに JRA の方へ行き、右折したあたりである。
そこの下水管を取り替える工事の警備にひと夏を費やした。


警備員というのは、人生がどうしようもなくなって食い詰めた人間か、夢を持った若者が
する仕事である。
前途のある若者は、たいてい数ヶ月働いてお金を貯めたら辞めていくものだ。
一年も二年も続けているのは、もう希望がなくなったオッサンだけだ。
(それも嫌になったら、田舎に帰るしかない)


新宿4丁目の現場は、ほとんどクルマが通らず、楽といえば楽だった。
交通量の多いところで立っていると、必ずドライバーから文句を言われ、うらまれる。
別に意地悪しているわけではないのだが、自分が通りたいところを通れないのは腹が立つ
のだろう。


たいての場合、警備員は3人が派遣される。
通行止めをする道路の両端に一人づつ、中の現場に一人が基本だ。
両端の人間は、看板を出して立っているだけでいいから、新人がやる。
中は、現場監督の手足となって細かいことをやるから、ベテランがやる。
私は、警備員をやって4ヶ月目だったので、ベテランの隊長になっていた。


下水管を取り替える工事だから、地面には大穴があく。
もし歩行者が通りかかれば、安全に誘導しなければならない。
また、パワーショベルの出し入れや、残土を運搬するトラックの誘導もする。
けっこう現場を走り回らなければならないが、退屈ではなかった。


最高に体感温度が上がるのは、アスファルトを敷設するときだった。
現場の人は、アスファルトのことを「ごうざい」と呼んでいた。(合材? 剛剤?)
4tトラックに積んできたときは、270℃ぐらいある。
それを少しづつ落として突き固めるが、同時に水を撒いて冷却する。
すると、猛烈な水蒸気があがる。
安全靴を履いていても、足の底が熱くなっているのが分かった。


作業後、腕に白い粉がついていて、よく見ると自分の身体から出た塩だったのに驚いた。
土方のおっちゃんたちは、必ず塩をひとつまみ舐めていた。ミネラル分を補給するためだ。
肉体労働者は、どうしても晩飯に塩辛いものが欲しくなるのが分かった。


アスファルトを敷いたら、その日の作業はほぼ終わりだ。
後片付けや掃除をして、現場監督にサインをもらって、事務所に電話して直帰する。
昇給とかスキルが上がるという希望は一切ないが、その日暮らしの清々しさはある。


ただ、いまも年配の人が工事現場の警備員をやっているのを見ると、どうしてそこまで
転落してしまったのか、と胸が痛くなることがある。
私も、その一人なのだけれど。


そうそう、工事中は自転車も通さないことになっていたのだが、さすが新宿である、
ヤクザが「長い竿状の何か」を持ってママチャリで通っていった。
これは、現場監督すら何も言わなかった。私も見て見ぬふりをした。


一ヶ月ぐらいの間に、現場監督とはずいぶん仲良くなって、大卒だったらうちの会社で
働かねーか? パソコン使えるんなら、事務できるだろ、と誘われたが断った。
いま思うと、ちょっと惜しいことをした。


残念なことに、警備員をやっているとき、風呂上りに発泡酒を飲んで、コイケヤのポテチ
のり塩)を毎晩のように食べていると、腹にまわしのような贅肉がついてしまった。
いまもうっすらと、その脂肪は身について離れようとしない。
何てこった。