朝日新聞のキャンペーンで
言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。
それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。
というコピーが使われ、内田樹先生が厳しく批判されていた。(参照)
その批判に対して、私が付け加えるべきことは何一つないし、そんな能力もないのだが、
頭に浮かんだことをちょっとだけ書いてみる。
日本のメディアは、ずいぶん長い間、サヨク的な言説が支配的だったように思う。
ネット上で右傾化した言説が出ているのは、全体のバランスをとっているだけでは
ないか。別にネット上の中国・韓国叩きが全て正しいとは思わないけど。
ところが、メディアの人は、情報を自分たちでコントロールできると、つい最近まで
思っていたんじゃなかろうか。
たとえば、格安航空券が一般的になって、若者が当たり前のように外国へ行くように
なったのは、ここ20年ぐらいだと思う。
それまでは、外国からの情報はいくらでも操作できていたわけだ。
これは、多くのサヨク的な言説にもいえることで、自分たちに都合のいい情報だけを
パッチワークのように繋ぎ合わせて、さも現実に起こっているかのように、あるいは
これから起こるように恫喝していたのではないか。
そうすると、冒頭のコピーは、次のように変えたほうがいいと思う。
付け加えると、ここのところ朝日新聞は、従来のサヨク的な言説からも離れて、独自の
アサヒ主義をひたすら訴えているように思えてならない。
とにかく、世界は朝日新聞を中心に回っていなければならないようなのだ。
山本夏彦が言っていたと思ったが、本来クォリティ・ペーパーの部数というのは、
10万部ぐらいでちょうどいい、とのことだ。
日本には東スポのようなイエロー・ペーパーはちゃんとあるが、クォリティ・ペーパーは
ないんじゃないかしら。
朝日・読売・毎日・産経・日経は、自らをクォリティ・ペーパーだと勘違いしているかも
しれないけど。
ていうか、本当に新聞って必要なの?