やまゆり園事件の犯人は、今でも自分がやったことは良いことだったと

思っているらしい。

生産性のない人というのは、自分が働いてお金儲けできない、という

意味だろう。

では彼の中で公務員はどういう立場なのか、とも思うが、要するに

自分で働いて給料を得ている人は生産性がある、と見なしているの

だろう。

 

しかし、問題は生産性があるかどうかではない。

犯人自身で、この世に必要な人とそうでない人を勝手に決めた、と

いう点にある。そんな傲慢なことを、なぜできたのか。

 

 

世間には、子供や夫の持っているものを勝手に捨てる主婦がいる。

夫が妻のものを勝手に捨てている例もあるかもしれないが、あまり

聞いたことがない。

 

この場合、主婦は自分がいいことをしたと思っている。ゴミを捨てて

きれいにしたのだから、感謝されてもいいぐらいだ、と。

自分の家庭に必要なものとそうでないものを勝手に決める権利がある、

と思っているのだ。

 

やまゆり園事件の犯人との共通点は、他者にとってはかけがえのない

ものかもしれない、という想像力がないところである。

そして世間にはそういう感覚の人がたくさんいる。

そこが恐ろしい。

 

 

生産性がないからとか、部屋が片付かないから、という理由は

後付である。

自分の不快感をごまかすために、一見正しく思える理屈をつけた

にすぎない。

 

萌え絵は女性差別だ、というのもそうだ。

自分が嫌いなものはこの世からなくしてしまえばいい、と思う人の

延長線上に、やまゆり園事件の犯人がいるのである。