マッドマックス 怒りのデスロード

ツイッターで私がフォロー中の人がみんな絶賛していたので、なんとか上映が
終わる前に見に行った。
ハリウッド映画を見るのは久しぶりだ。これは豪州映画でもあるが。


すごかった。
確かにすごかったのだけれども、私はこれを愛を持って語ることができない。
なぜなら昔からクルマが爆発するような映画は苦手だからだ。
なので、ひねくれた感想しか書けないけれども、決して否定的な受け止め方は
していない。



“怒りのデスロード”には、ほとんど説明や物語がない。
いきなりカーチェイスが始まり、ほぼカーチェイスで終わる。
一般的なジェットコースターが、まずゆっくりと上昇してから走り出すのに対して、
いきなり急降下していくタイプの作品である。


観客は、あれよあれよという間にヒャッハーするクルマに追われ、砂嵐に突っ込む
まで息つく暇もない。
トレーラーが一時停止するとき、観客も一息つける。


例えるのはどうかと思うが、アダルトビデオに似ているような気がする。
AVでは、絡みあう男女の背景とか物語はとりあえず要らない。
序盤にそんなものを描いていても、ファックシーンまでとばす。


“怒りのデスロード”も、ほぼ絡みのシーンの連続だと見なしていい。
普通はそんなシーンが延々と続くと飽きるのだが、テンポと道具がいいから、つい
ずっと見てしまう。
クルマが爆発する映画が好きな人は、もう興奮のしっぱなしである。


それに、マックスが武器将軍をやっつけるシーンは、丸ごとカットされている。
2時間10分に収めなければならなかったからだろうが、あの場面は泥のために
トレーラーが止まっており、スピード感がなくなっていたことも一因だろう。


とにかく、できるだけエンジンを止めずに走り続けることが最優先なのだ。



もちろん、いろんな解釈ができるものは散りばめられている。
イモータン・ジョーは宗教と政治家、武器将軍は軍人、人喰い男爵は武器商人の
メタファーだろう。
彼らが結託して、女性たちを追い詰めていく。
次世代を産む健康的な若さと植物の種は、未来を象徴している。


マックスが、新しい神になるヒロインに自分の血を与えて去っているのは、キリストの
メタファーと考えられるだろう。


ニュークという名前の若者が、自分の生きる意味を見出して爆死するのも、核兵器
表しているといえばこじつけか。


アホみたいな映画に見えて、よく練られた脚本だと思う。



ググると、ジョージ・ミラーの執念が“怒りのデスロード”を作ったようである。
よく心が折れなかったと思う。


私は映画に出てきた、スピーカーを積んだクルマの前でギターを演奏している奴を
みて、だんじりみたいだと思った。


ジョージ・ミラーを岸和田のだんじり祭に連れて行ったら、きっと喜ぶのではないか。