教養としての聖書

教養としての聖書 (光文社新書)

教養としての聖書 (光文社新書)

キリスト教の聖書は、マルコの福音書を読んだきりで、ユダヤ教の聖書は最初の名前の
ところで挫折した。
なので、旧約聖書から3篇、新約聖書から3篇を選んで解説してくれる本書はありがたい。


とはいうものの、読み終わってみても、一神教の考え方はよく分からないままだ。
そういうものを作らないと生きていけない過酷な環境だったのだろうな、と気の毒に
思う。



もし完全無欠の神がいたなら、べつに不完全な世界を作らなくてもいいのではないか、
と思ってしまう。


有名なアダムとイブの話でも、知恵の実をつける樹もそそのかす蛇も、全知全能の神が
作ったものではないか。
そんなものを作らなければ、今でもアダムとイブは平和に楽しく暮らしていただろう。


つまり、私から見れば、全知全能の神というものが存在するならば、人類なんて必要ない
ではないか、という結論になる。
エヴァンゲリヲン人類補完計画というのは、そういう解釈の一つではないかと思う。



なので、私は不完全な世界で不完全な存在の人間がジタバタ足掻く世の中を肯定する。
理不尽なことばかりで救済もないかもしれないが、生まれて死ぬ、ただそれだけのことに
過剰な意味は要らないのではないか、と思う。


とはいえ、一神教の人々が創造したもので世の中が啓けたことも事実なので、そこは
認めてもいいのかな、と。


今後、一神教の信者がどのくらい影響力を持つのかは分からないが、できれば減って
くれた方が揉め事が少なくなると思う。