核と日本人 ヒロシマ・ゴジラ・フクシマ

戦後の日本のポピュラー文化において、核兵器原子力発電がどのように
受容され表現されてきたか、をまとめた力作である。


テレビドラマやマンガ、特撮映画など、よくこれほど調べたものだ、と
思う。
本書を読めば、戦後の大衆がどのように核を意識していたかが大まかに
分かるだろう。


そこで分かるのは、ほとんどの人は核について無関心である、という
事実である。


そして著者は最後に不気味な予言をしている。

 この意識に変化がないのだとすれば、過去の経緯を敷衍して、原発について、
一つのシナリオを書くのは容易である。原発事故の被災者は痛みを受忍させられ、
原発立地地域は原発にすがり、それ以外の地域は原発を容認する。その容認は、
早晩無関心に変わる。推進派と反対派とが安定した対立構造を生み、受忍と
無関心が結び付いた奇妙な静けさのなかで、人びとは、毎年三月に原発災害を
繰り返してはならないと誓うだろう。そして、原発は多くの人びとの目には
見えない場所で「安全」に稼働し続けるのである。


 このような隘路を切り開くことができるのかどうか、二十一世紀初冬の
日本社会は岐路に立っている。( p 250 )

どんな大きな災害に遭っても、いつの間にか日常は戻り、根本的な解決は
先送りされる。
そして同じことが再び繰り返される。


核に限らず、戦争もそうではないか、と私は思う。
どんなに酷い目に遭っても、世代が交代するとリセットされてしまうの
ではないか。そんな気がする。



著者はたくさんの資料を読み込んでいるので、必要のないものはカットして
いると思う。
なので当然、NHKのドラマ「夢千代日記」も見ているとは思うが、これを
外したのはどうしてなのだろうか。


1981年から84年にかけて製作されたドラマなので、まだチェルノブイリ事故は
起こっていない。
当時、胎内被爆者を主人公にした意味がどのくらい視聴者に伝わっていたのか、
ひとこと触れてもよかったのでは、と思う。


もう1つ、オタク的に外せないのは「ジャイアントロボ THE ANIMATION -
地球が静止する日」である。

エネルギー問題について描いた傑作だったが、OVA作品だったので普通の人は
知らないかもしれない。


それから、2000年代に原発が見直されるようになったのは、地球温暖化という
テーマが大きく取り上げられたからだと思うが、それとの関連も言及していたら
よかったのではないか。


つまり、ポピュラー文化で地球温暖化はどのように取り上げられていたか、と
いうことだが、これは本書の主題から外れるので外したのだろう。
調べたら面白いかもしれない。



本書では日本のポピュラー文化に絞って考察しており、それだけでも大変な
手間と時間がかかったと思う。


では、外国ではどうか、というと、これは膨大すぎてよく分からないだろう。


私がずっと前に見てびっくりしたのは、ジョージ・クルーニー主演の「ピース
メーカー」という映画である。

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ロシアから流出した核弾頭がテロリストに渡るのを防ぐ米国軍人の話だが、
なんと物語の中で核弾頭を爆発させている。


なのに、登場人物には放射線障害など全くない。
米国人は核兵器の被害について知らないのだろうか、と不思議に思った。


保有国のポピュラー文化では、このようなイメージがほとんどなのかも
しれないけれど、チェルノブイリ事故を起こしたロシアでもそうなのだろ
うか。


こういうのは、それぞれのポピュラー文化に詳しい人が人海戦術で資料を
集めるしかないのかもしれない。