- 作者: 養老孟司
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2014/06/13
- メディア: 新書
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感じがする。いや、お説教というと嫌な言い方だな。
ご隠居さんのひとりごと、とでも言えばいいのか。
自分と世間の折り合いがどうもよくないと思う人が、どうしたらしのいで
いけるか、という話が中心になっており、私なんかもその一人だから、
もっと若いときに読んでおけばよかった。
といっても、東大医学部の教授だった人と、普通の人間を比べては
いけない。ところどころで、いや普通の人にはそれは無理です、と
いうような話が出てくる。
↓
ちょっとよく分からない寓話も出てくる。
原発事故が起こったとき、やみくもに逃げるのはいかがなものか、という話を
してからの記述である。(p192)
もちろん、どういう行動をするのかは自由ですし、責めるつもりはありません。
その時、思い出したのが、「テヘランの死神」という寓話でした。ヴィクトール・
E・フランクルの『夜と霧』(みすず書房)の中に出てきます(以下、同書をもとに
紹介します)。
裕福で力のあるペルシャ人が、召使をしたがえて歩いていると、急に召使が
こんなことを言い出します。
「今しがた死神とばったり出くわして脅かされました。私に一番足の速い馬を
与えてください。それに乗ってテヘランまで逃げていこうと思います。今日の
夕方までにテヘランにたどりつきたいのです」
主人が言われた通りに馬を与えると、召使はそれに乗って去っていきました。
その後、主人が館に入ろうとすると、死神に会ってしまいます。そこで主人が、
「なぜ私の召使を驚かせたのだ、怖がらせたのだ」
と言うと、死神はこう答えました。
「驚かせてもいないし、怖がらせてもいない。驚いたのはこっちだ。あの男に、
ここで会うなんて。やつとは今夜、テヘランで会うことになっているのに」
これは寓話なので、いろんな解釈が成り立ちます。どう解釈するかは、お任せします。
……どう解釈したらいいんだろう? というより、そもそも意味がよく分からない。
運命は自分で選択できないという話なのだろうか。