ゆかいな仏教

ゆかいな仏教 (サンガ新書)

ゆかいな仏教 (サンガ新書)

橋爪大三郎大澤真幸の対談シリーズ、今度は仏教である。
私のようなインテリでない者にも分かりやすく説明しており、
たいへん面白かった。


仏教の合理性は、数学と通じるものがある、と学生時代に直感して
いたが、果たしてそうだった。
たぶん数学者は仏教の思想と相性が良いのだと思う。
(たしか岡潔がそうではなかったか)


というのも、仏教の思想を説明するのに、数学的な考えを導入すると
スッキリすることがたびたび述べられている。例えば

橋爪
覚りと、覚りに至るプロセスの関係を、極限値と収束点列の関係として
説明するのです。解析学の基本定理で、「有界単調な点列は収束する」
というのがあるじゃないですか。ゼロを知らないひとにゼロを説明したい。
1、1/2、1/4、1/8、……という数列を考えてもらう。だんだん小さくなり、
でも、マイナスにはならない。単調(だんだん小さくなる)で、有界(行き
止まりがある)です。数字の大きさがなくなるところに向かって、どんどん
近づいていく。そのことは理解してもらえる。そこでこう言う。「ゼロ(極限値)は
見えないかもしれないが、収束点列はみえるでしょう。ゼロとは、この収束点列の
ことなんです。」


ゼロを「覚り」、収束点列を、無限に続く菩薩の修業、と考えると、ここに
平行関係がある。……と思いませんか? 
(p263)

という感じ。



それにしても、初期仏教から日本の仏教に至るまで、よくぞここまで
多様になったものだ。
その理由は、橋爪大三郎によると“仏教にはドグマがないから”だそうだ。


ドグマというのは、神からのメッセージを正しく言葉にすること。
教義と訳されるが、その解釈によって分裂が起こる。
しかし仏教は自分で覚ることが目的であり、神は設定されていない。
人間が修業して覚る(ブッダになる)ことが仏教の核である、という。


この本ではキリスト教などの一神教と対比させて仏教を論じていて、
一神教の神様がしっくりこない私にとっては、仏教の方が優れている
ように思える。



仏教とは関係ないのだけれど、インド人は数に関しては異常に興味を
示すのに、歴史に関しては無関心である。
逆に、中国人は歴史オタクなのに、数にはあまり感心がない。
(中国で偉大な数学者はいただろうか?)


そして、インドから中国へは仏教が伝わったのに対して、中国からインド
へは何が伝わったのだろう、と考えると、思い当たらない。
この非対称性がちょっと気になる。



http://www.samgha.co.jp/yukaina/
このサイトで、著者ふたりによる、読んでおきたい仏教の本のリストが
見られる。
昔の人はお経をがんばって読んでいたのだろうけど、今は分かりやすい
入門書が多いようだ。


先進国で仏教が生活に浸透しているのは日本ぐらいだろう。
これは西欧諸国にとって、大きなアドバンテージだと思う。