ウルトラマンがいた時代

ウルトラシリーズに「沖縄」とか「反戦」などの重いテーマを背負わせて
語るのはやめよう、という趣旨の本で、猫猫先生の特撮雑談に近い。
同年代の人が読むとピンポイントでグッと来るのではないか。


私は著者より年下で、夕方の再放送の「ウルトラセブン」を見て感動
していた。だからリアルタイムで放送していた「ウルトラマンタロウ」や
ウルトラマンレオ」は、セブンと比べるとなぁ……と冷めた目で見て
いた。


また、「帰ってきたウルトラマン」についても、どういうわけか子供心に
あまり残るものはなく、ただ夕日を背に立っている姿が印象的だった。
なので、猫猫先生が語る「帰ってきたウルトラマン」への愛情は、いま
ひとつピンと来なかった。
(が、同学年に「帰ってきたウルトラマン」を至高とする者もいる)


庵野秀明も、やはり「帰ってきたウルトラマン」を愛する人のひとりだが、
1960年生まれと猫猫先生より2歳年上である。
子供のころの2歳の年齢差は決定的なものがあると思うが、それよりも
どういう環境で過ごしたかも重要なのかもしれない。


つまり、1970年代に、かなり裕福だった家庭の子と、庶民の子が同じ
特撮番組を見ても、心に残るものは違うのではないか、ということだ。
ブルジョワが見たウルトラシリーズは、どんな感じだったのだろう。


講談社現代新書の「ウルトラマンが泣いている」を書いた円谷英明は
1959年生まれである。
彼は「帰ってきたウルトラマン」の撮影現場を見学できる、特別な
立場の少年だった。
にしては、「帰ってきたウルトラマン」に対する愛情があまりない
ように思える。
併せて読みたい一冊だ。