テレビで「パイレーツ・オブ・カリビアン」を初めて見た。
ほほう、と思ったのは、ジョニー・デップとオーランド・ブルームの
役割である。
オーソドックスな冒険活劇なら、この二人にキャラクターを分割する
必要はない。海賊のヒーローが活躍して、ヒロインとチューして終わ
るものだ。
ところが、「パイレーツ・オブ・カリビアン」でのジョニー・デップ
は、相変わらずの“変なヤツ”である。
ヒロインを情熱的に追いかけることもせず、莫大な財宝に執着するこ
ともなく、飄々と冒険を楽しんでいる。
なぜこのようなキャラクターが必要なのだろう?
私が思うに、観客は熱いラブストーリーや財宝目当ての冒険に飽き飽
きしているからだ。
もちろん、これらも必要ではあるのだが、メインではない。
むしろ、そういうマジなエンタテインメント要素を客観的に笑うよう
なキャラクターが求められているのだろう。
別にこれは最近の発明ではなく、ボブ・ホープとかジェリー・ルイス
などの喜劇映画で使われた手法だ。
その構造を、王道のエンタテインメント映画で使ったのがヒットした
理由なのかもしれない。
もうひとつは、ジョニー・デップとオーランド・ブルームのホモソー
シャルな関係をあらわすために、敢えてヒロインを奪い合う関係にし
なかった、という見方もできる。
そこには内田樹の言う、米国映画伝統の女性嫌悪が伏流しているのだ
ろう。
正直、なんでこの映画が大ヒットしたのか、よく分からないが、若者
のデートにはぴったりの作品だとは思う。