街場の大学論

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

街場の大学論 ウチダ式教育再生 (角川文庫)

間を開けて読んでしまったので、とっちらかった感想しか書けない。
けれど、ほう、と思ったことが二つあった。


ひとつは地方の大学について。
いわゆる駅弁大学は不要であると思っていたが、それは間違っている
と考え直した。


私の地元で代表的な大学といえば、愛媛大学である。
愛媛大学の理系の大学院は、世界レベルの研究をしていて、環境学
や地質学系ではトップを走っていると思う。
しかし、文系は正直あんまり頭がいい人に会ったことがない。
(でも威張っているのがおかしい)


このような地方の大学は潰して、東大・京大レベルの大学に集約すべ
きだろう、と考えていた。
しかし、レベルの高さはすそ野が広いから成り立つのであった。


地域の知をまとめるセンター的役割は、やはり大学でないとできない。
また、緑化という役割もある。これは意外と大事なことで、大学がある
から守られる環境もあるのだ。


なので、愛媛大学の文系を生温かい目で見守ることにしよう。
せめて視野を広く持ってね、と。


もうひとつは就職活動について。
これについてはウチダ先生が怒っておられる。

企業は学生を集められるだけ集めて、どんどん落としていくというたいへん手荒な
雇用戦略を採っている。学生たちは圧迫面接を何回も受けたあげくに、理由も告げ
られずに落とされる。そんな経験を繰り返していくうちに、日本の大学生たちがど
れくらい精神的に壊されているか、想像を絶していますよ。十年、二十年残るトラ
ウマ的な経験をこの時期に集団的にしている。


当今の企業の雇用戦略はひどいものです。一人採りたいのに、応募者が百人来た
から、九十九人落とす。企業の方にしてみたら、簡単な算術でしょうけれど、落
とすにしても落とし方があるだろうっていう気がするんです。落とされた若者た
ちの心の傷について、採用側はまったく責任を感じていない。若者たちの社会性
を高めること、彼らを知性的にも情緒的にも安定した成熟した市民に育て上げる
ことは、全社会的な責任だと僕は思うんですけれど、企業の人事採用担当者たち
はむしろ組織的に若者たちを壊して回っている。そのことに快感を覚えているの
ではないかと思うほどです。

(本文p291より)


私も同感である。
おそらく企業は天然資源のように新卒学生を扱っている。
いくら収奪しても、後からいくらでも湧いてくるかのように考えている。


ところが、最近、質が悪くなったといって、外国の資源を探し始め、日本
のものには目を向けなくなった。


企業にもし社会的責任があるならば、採用した学生を育てるコストをかけ
てもいいのではないか。
そんなものにカネはかけられんよ、という経営者は、製鉄のために森林を
切り倒してしまった中世の人とかわりがないと思う。