ヤンキー進化論

ヤンキー進化論 (光文社新書)

ヤンキー進化論 (光文社新書)

本書によると、狭義のヤンキーとは
1.階層的には下(と見なされがち)
2.旧来型の男女性役割(概して早熟・早婚)
3.ドメスティック(自国的)やネイバーフッド(地元)を志向
の三つに当てはまる人たちだという。


そして、ヤンキーは英国でいうところの労働者階級と同じであろうと
類推し、労働者階級の矜持を持って誇り高く生きよう、と呼びかけて
いる。


著者はヤンキーの負の側面を認めているが、それでもなおヤンキーに
大してポジティブなものを感じているようだ。


しかし、そもそもヤンキーは怖くて乱暴で迷惑なものではないか。
周りを威嚇しないヤンキーは、ヤンキーではなかろう。
そういう奴らに対して、私は何もポジティブな面を見つけられない。


私が一番ムカつくのは、ヤンキーが過去の悪事を過小評価するどころ
か、美化することだ。
「若いころは、ちょっとヤンチャしてて」
などと言うが、そいつのせいで酷い目に会った人が彼を許していると
でも思っているのだろうか? 


なので、拡大解釈したヤンキーについても、私はあまり評価できない。
というより、それはもはやヤンキーではないと思う。


もうひとつ、読んでいて思ったのは、ヤンキーとオタクの交差である。
ヤンキーの中には、妙にオタクな人がいる。例えば土田晃之はガンダ
ム芸人として有名だし、品川祐もそうだろう。


逆に、オタクの中でヤンキーテイスト溢れる人はあまり見ない。
私が知っているのは、山下達郎ぐらいだ。彼はクールスという本書で
も言及されているバンドをプロデュースしたこともあるが、根は音楽
オタクである。


そういえば、歌手の鈴木雅之は元ヤンキーである。
何かで読んだことがあるのだが、鈴木雅之が黒人音楽に夢中になって、
数寄屋橋のハンターという中古レコード屋で安いレコードを物色して
いたら、軍手をしてものすごい勢いでレコードをチェックしている男
を見た。後に山下達郎だと分かった、というエピソードがある。
オタクも突き詰めるとヤンキーと互角の勝負ができる、ということか。


それはともかく、なぜオタクを内包したヤンキーはけっこういるのに、
ヤンキーを内包したオタクはあまりいないのか、考えてみた。
要するに、オタク的なものに目覚める年齢は小学生のころだが、ヤン
キー的なものに目覚めるのは中学生のころだから、順番からいってど
うしてもオタクが先になるのであろう。


そして、オタクはファッションにほとんど興味を示さないけれど、ヤ
ンキーは悪趣味であれ、ファッションに強い関心を示す。
この差も大きいのではなかろうかと思う。
(それにしても、オタクもヤンキーも独特のファッションになるのが
不思議といえば不思議だ)


ヤンキーは、自らのことをきちんと語れるほど頭が良くない人が多い。
なので、ヤンキーの自己分析は学術的なレベルに達することがない。
ということは、ヤンキーの自我をきちんと分析すれば、面白いものが
できるかもしれない。


なお、本書の26ページ8行目にある古谷実のマンガは『シガラテ』では
なく『シガテラ』である。誤植なので重版がかかったら直しておくと
いいですよ。