最初のことば

友だちが、自分の子供が最初に発したことばを聞いたそうだ。
おそらく、そのことばを忘れることはあるまい。
だが、子供自身は決して憶えていることはないだろう。後で親に教えてもらって、初めて
自分が最初に何と言ったか分かるのだ。


私自身は、自分が最初に何を言ったのか知らない。
親に聞いても、忘れた、と言うだろう。
次男だから、そんなことをいちいち憶えていられなかったのかもしれないし、ありふれた
ことばだったから特に印象に残らなかったのかもしれない。
ともかく、寂しい話である。


ことばはクッキーの型のようなものだと思う。
ハート型や星型など、いろんな形があるが、これが英語や日本語などの種類にあたる。
そして、様々な味の生地が世界にあたり、生地を型でくりぬくことが、言語化するという
作業にあたるのではないかと。


そのようにして世界を分節していくことで、手元にたくさんのクッキーのタネができる。
それらを焼いていくのが意識化であり、相手のクッキーを見たり食べたりするのが言語活
動ではなかろうか。こじつけっぽいかな。


なので、最初に手に入れた型は、たぶん自分が一生使い続ける型である。
何の生地をくりぬいたのか、たいていは身近にあったものだろうけれど、もしかしたら、
その人の語彙の何らかのパターンを決定づけているかもしれない。


親は、子供が最初につくったクッキーをきっとうれしそうに食べてくれるに違いない。
大事なのは、クッキーの型の多さではなく、生地の種類と量の多さである。
他人がハート型で自分が丸だからといって、相手をうらやましがることはない。


それよりも、いろんな味のクッキーをたくさん手に入れることが大切なのだ。
そして、型でくりぬいた生地には、かならず余る部分すなわち言語化できない部分が残る、
ということも意識しておくといいと思う。


芸術家というのは、その余った生地をうまくこね回して手作りのクッキーを作れる人なの
かもしれない。なんかよく分かったような分からないような例えになってしまった。