シャツ・イン

シャツをズボンの中に入れているのを「シャツ・イン」といって、ダサいことだとされているが、
これはいつから始まったことなのだろうか。


私はファッションに疎いから、はっきりとは分からないが、80年代の中ごろではないかと記憶し
ている。
それ以前は、シャツを外に出しているのは、だらしないこととされていた。


80年代の中ごろという根拠は、NHKがときどき深夜に流している「MUSIC BOX」という番組の映像
にある。この番組は、たとえば1985年なら85年の流行歌を音声で流し、映像はその当時の流行や
事件を音声と無関係に放送する内容で、ぼーっと見ていると1時間ぐらいあっという間に経って
しまう。


そのとき見た原宿の映像に、ワイシャツの後ろの、普段はズボンの中に入れる部分に大きく文字
を印刷し、わざとそれを出しているファッションが流行していたのが映っていた。
わざわざ蛍光ピンクで目立つようにプリントしており、いま見るとダサいのだが、80年代の若者
は得意げに歩いていた。


これがシャツを外に出す根拠と断言はできないが、ひとつのきっかけになったのではなかろうか、
と推測するのである。


で、こういうはた迷惑なファッションが定着してしまうと、私のように腹が冷えやすい人間にと
っては困ることになる。
もはやオッサンだし、私を見る人などいないだろうから、シャツをしっかり入れた方がいいのだ
けれど、どうしても開き直ることができない。
流行の呪縛にかかっているのだ。


女子高生のミニスカートも、同様に90年代前半ぐらいに定着しており、個人的には非常に嬉しい
のだが、中には、やめた方がいいんじゃないか、という子まで短くしているのを見ると痛々しく思
う。それに冬は冷えるだろうに、がんばって脚を出しているし、ファッションは人間の生理を超
えてまでキメなければならんのだろうか、という疑問がわく。


昔、「笑っていいとも」に志茂田景樹がレギュラー出演していたとき、毎回とても奇抜な服で登
場していた。このオッサン、どういうセンスをしているんだろう、と思ったものだ。
ファッションはひとりで頑張っても成立しないのですね。
誰かが(できればかなり多くの人が)カッコイイと認めなければならない。


では、シャツ・インをダサいと決め、外に出すのがカッコイイと決めたのは誰なんだろう? 


シャツ・インに限らず、ケミカルウォッシュのジーンズでも厚底ブーツでも男の長髪でも何でも
いいのだが、あるコードが提示され、付和雷同型の人が真似をしてブームになり、定着するか消
えるかのどちらかに選別されていく、というサイクルは、誰かが管理しているというわけでもな
さそうだ。


ただ、流行を発信する人というのはどこかにいて、彼らが提示したものが世の中に受け入れられ
るのか無視されるのかは運まかせなのかもしれない。


そういう消費のゲームに敏感な一部がイケてる人とされ、そうでない人はダサいとされているだ
けのような気がする。
そして、このことにほとんどの人が文句を言わないのも不思議なことだ。
自分の生活のリソースを、どの程度までファッションにまわすかは、個人が勝手に決めればいい
と思うけど、ファッションに興味のない人は不当に虐げられているような気がしないでもない。


一時期、和服のブームがあったが、こういう定番モノに走るのは、流行に疲れている人が多くな
ったからではなかろうか、とも思う。
もっとも、みんなが和服を着始めたら、どの和服がイケてるか、ダサいかを審査するゲームがス
タートするだけなのかもしれないけど。


本文と写真はまったく関係ありません

ノノ∂_∂’ル<浴衣だと胸が小さい方がいいのさ