正しい症候群

あるオッサンが、電車の中で騒いでいる女子高生を注意したら、うっせーよハゲ、と言い返され、
つい殴ってしまった、という事件があったとしよう。


この場合、手をあげたオッサンは確かにいかんのだが、殴られた女子高生に落ち度はないのか。
いや、こんなバカは多少のことを言ってもきかないんだから、平手打ちぐらいしてもいいだろう、
というような意見もあるだろうし、言葉だけで注意すべきだった、という意見もあるだろう。


いつごろからなのか分からないけれど、急にキレる人が多くなったような気がする。
そして、キレる理由は「自分は正しい」というスタンスにいると信じているからではないだろう
か。私に落ち度はない、ゆえに正しいという理論だ。


確かに、どう考えても俺は悪くないよな、という場面がある。
そこをグッと堪えて、後からチクショーッて思うタイプと、その場でキレるタイプの二種類の人
がいるが、最近は後者の人が増えてきているのだろうか。


で、この「俺は悪くない」という判断は正しいのだろうが、「悪くない」→「正しい」→「反撃
してもいい」と思考がスライドすると、暴力になってしまうのではないかと。


正義のためなら反撃もやむなし、という考え方って、ちょっと危ういものだと思う。
そこに共感する人は多いだろうけど、自分の私憤がそのまま正義という名前にすり替わってるだ
けなのかもしれないよ、という突っ込みもある。


例えば、飲食店で不手際があり店員が謝っているにも関わらず、「お前じゃ話にならん、店長を
呼べ、店長を!」と怒鳴るオッサンは、わりといる。
オッサンは被害者なのだが、周りの人はオッサンを応援するだろうか。
私が同じところにいたら、なんかイヤーな気分になる。


たぶんオッサンは、自分が正しいことをしていると思っており、周りの雰囲気を台無しにしてい
るとは夢にも思わないだろう。
ここで加害者と被害者は奇妙にねじれた関係になっているのである。


どうしたらいいのか。
反撃をスマートにするべし。
クレーマーのように嫌われることなく、逆に相手が良いアドバイスをもらった、ぐらいの言い方
を心がければいいんじゃないかと。
ま、言うは易し、だけど。


本文と写真はまったく関係ありません

( ・e・)<腹が立っても、じっと我慢なのだ