なぜかBS2でアニメ「あしたのジョー」をずっと放送しており、たまたま見たら、今日は力石と
ジョーが壮絶な試合をするところだった。
いわば一番おいしいところだけをつまみ食いしたようなものだ。
アニメ史に残る有名な回なので、分かる人は分かると思うが、あの骨太の線と絵を止めた演出
が異様な迫力を生み出しており、いま見ても手に汗を握る。
出崎イズムが爆発しているのである。
ちばてつやの絵もそうだが、出崎統の演出するアニメの人物で、ここ一番の顔を描くときは、
なぜかまつ毛が長くなる。男でもマスカラを塗ったようなふさふさな感じなのだ。
だが、その長いまつ毛が、優しさや切なさといった感情を表現しており、見る者の胸を熱くさ
せる。あの丹下段平でさえ、ここぞというときはまつ毛が増量するのだが、劇的な場面なので
笑いはない。
「エースをねらえ!」や「ガラスの仮面」のような少女マンガでも、まつ毛は効果的に描かれ
ていたが、男と男がボクシングで戦う「あしたのジョー」は少年マンガである。
にもかかわらず、同性愛っぽい雰囲気があるのは、まつ毛効果のせいもあるのではないか。
たぶん腐女子の間では、「あしたのジョー」の登場人物で攻めと受けの組み合わせを考えるの
は基本なんだろうけど、連載当時からそういう妄想をたくましくさせていたのだろうか。
だとしたら、腐女子の原点は「あしたのジョー」なのかも。
ちなみに、このアニメは1971年に放送されている。
この当時、まだドヤ街などは存在したのだろうが、ジョーを応援するようなあまりにも貧乏な
人々はリアリティがあったのだろうか?
彼らも高度成長とともに豊かになっていったのか、それとも貧乏なまま死んでしまったのか、
アニメの中の設定ながら気になる。
いまの格差社会では、より貧乏になっていく人が増えていくだろうから、その階層からヒーロ
ーが誕生する可能性がある。
米国でも、初期のボクサーはユダヤ人、イタリア人、アイルランド人などの貧困層の選手が多
かったそうだ。いまは黒人やヒスパニック系が多い。
DQNボクサーは、亀田兄弟以外にもたくさん出現するかもしれない。