NHKで「日本の、これから」という討論番組があり、団塊の世代がテーマになっていた。
「朝まで生テレビ」もそうだが、こういう番組で何らかの実効的な合意ができたためしがなく、
議論好きな人が喋りあって満足しているだけだと思うのだが、なんとなく見てしまった。
私が実際に接したことのある団塊の世代の人は、みんなロクな人がいなかった。
だから、彼らに対する印象はすこぶる悪い。たぶん、素敵な人もいるんだろうけど。
もっとも、これは彼らが悪いのではなく、彼らを教育した親が悪いのではないかと思う。
戦前の価値観が全否定されると、どうやって子供たちをしつけたらいいのか分からなくなった
のではなかろうか。
そもそも団塊の世代の親たちは、1947年から49年の間に、どうして無闇に子供を作ったのか。
戦争が終わった解放感からか、娯楽がなかったからか。
あまり納得のいく説明を受けたことがない。
もし原因が分かったなら、現在の少子化問題に役立つかもしれない。
ところで、マンガ家で団塊の世代というと、弘兼憲史とかわぐちかいじである。
弘兼は大企業のサラリーマンをテーマに、かわぐちは軍事ものをテーマに、それぞれ大ヒット
した代表作がある。
先日の「うたばん」に木村カエラが出演したとき、彼女は弘兼憲史の「課長 島耕作」を愛読
しているという話をした。
その中で、女から見ると「島耕作」に出てくる女性キャラはありえないけど、男性の欲望という
か妄想が分かって楽しい、と語っていた。
確かに「島耕作」で描かれるセックスシーンは、男が見てもどうだろうというのが多い。
しかし、これは、固い話が続いたからこのへんで濡れ場を入れておきましょうか、という判断で
描いているものであり、読者を楽しませるテクニックのひとつにすぎない。
私が「島耕作」シリーズを読んで気になったのは、ほとんどの登場人物の家庭で、一夫一婦制が
崩壊していることである。
なんでこんなに愛人が出てくるんだろう、と不思議なのだが、性欲が強くないと大企業で出世
できないのだろうか。
このあたりの弘兼の女性観を批判している人も多いと思う。
と、イチャモンをつけてみても、面白いマンガであることには変わりはない。
よく取材しているし、それを分かりやすく読者に伝える技術は他の追随を許さないだろう。
山崎豊子の「華麗なる一族」を読んでいて気づいたのだが、キャラクターのフラットさや取材の
綿密さなどが「島耕作」シリーズとそっくりである。逆か。
団塊の世代の特徴をひとつ挙げよ、と訊かれたら、私は“自分に酔っている”ことだと答える。
こんなにも○○なオレ/アタシって素敵、と陶酔できるのが彼らなのではないか、と。
それを見ていた下の世代がシラケるのは無理もないと思うのだ。
また、親が団塊の世代である団塊ジュニアたちも、微妙にその自己陶酔を受け継いでいるのでは
ないか、と「雨トーーク」の<昭和47年生まれ芸人>の回を見て感じた。
団塊ジュニアに育てられた世代は、どうなることやら。